2017-12-01から1ヶ月間の記事一覧
イエス・キリストの凄いところの一つは、母親との直接的な血縁関係よりも、「人類皆兄弟」という広範な視点による血縁関係を優先したことにある。イエス・キリストにとって母マリアは、大勢いる自分の兄妹たちの一人に過ぎない。 他人が「自分ではない他の人…
この鳥(駒鳥)が赤い胸羽を示すことは縄張りの主張であり、この赤い胸羽を見せるだけで、相手に或る行動を引き起こすことが観察されています。赤という色は、この場合、想像的機能をもっているわけです。 この想像的機能が、了解関連という次元へと翻訳され…
真実にして完全なる神への従順こそ、すべての徳にまさる徳であって、如何なる大事もこの徳なくしては有り得ず、また為され得ないのである。 真の従順においては、「私はかくかく欲する」または「これこれを欲する」ということがあってはならない。ただ「自分…
板垣恵介イラストが表紙の『史上最強の哲学入門』、読んだこと無いですがちょっと気になって作者の「飲茶」さんのサイトを見てみたのですが、これは哲学者ではなく「魔法使い」で、私も哲学の入門著は昔は何冊も読みましたが、こういうのはどれも魔法を使っ…
絵画における黄金比とは何か?それは光配列であり情報なのである。絵画の画面構成に黄金比による画面分割を加えると、それ自体が光配列となり、作品により豊かな情報が含まれる事となる。 絵画とは『通常の環境の包囲光配列に見出されるのと同種の情報を含ん…
現象学的には「実在」と思える全ては「現象」に過ぎないが、アフォーダンス理論によって詳細に言えば、全ての視覚現象は「光配列」に還元できる。人間は網膜像を見ているのではなく、網膜像を利用して光配列を見ている。 光配列は人間のみならず、視覚機能を…
私が認識間違いをしていたのは、人間は動物に備わっているべき本能のほとんど失っていて、その本能に取って代わる行動プログラムを言語によって構築するのだと思っていたのだが、それは反面は妥当性があるものの、実際の人間には本能的な「動物言語」の多く…
思い出したのだが、これはだいぶ以前にTwitterに書いたことだが、私は極度の鬱病を患っている。いや一般常識で言えば私は鬱病ではなく、医者もそのように診断しないだろうと思われる。鬱病と言うのはもっと酷い症状を指しているのだと言う意見も最もである。…
発売中の『子供の科学』2018年1月号は「イヌ特集」だが、その中に「イヌはオオカミのネオテニーである」と言う説が紹介されていて衝撃を受けたのだが、言われてみれば確かにその通りだと思える。 同じく『子供の科学』のイヌ特集だが、温血動物で目に「白目…
現代アートを理解するには寛容さが必要であり、何故なら現代アートは基本的にどのような対象をどのような方法に表現するのも許されるからである。 現代アートが一般に分かりにくいとされるのは、理解に寛容さを必要とするから。多くの人は自らの常識に閉じこ…
これまでの私は「寛容」の心が足りていなかったのかも知れない。物事の「優劣」を判断する上でも、寛容の心は必要である。なぜなら不寛容である場合、物事を本質的な優劣で判断する以前に、自分の乏しい経験からくる「好き・嫌い」「分かる・分からない」で…
慢心はなぜ生じるのか?それは一つには「自分の持ち物」を「自分」と混同することによって生じる。人は「持ち物」において平等ではなく「持つ者」と「持たざる者」に分かれており、「持つ者」である自分が「持たざる者」である他者と比較することによって、…
カルチャーはサブカルチャーを取り込むことで発展し、サブカルチャーはカルチャーを取り込んで消費する。 カルチャーは代を重ねるごとに芯から腐ってサブカルチャー化する。 サブカルチャーはそれぞれが非本質に向かって多様化する。 カルチャーとは総合性で…
赤瀬川原平『超芸術トマソン』は、柳宗悦の「民芸運動」との共通点があるように思えるが、赤瀬川さん自身はそれについて書いていないし、民芸運動について知らないのではないか? また赤瀬川さんは自身の超芸術トマソンについて、デュシャンのレディ・メイド…
「民芸」という言葉は手垢がつきすぎてよくわからなくなっているが、柳宗悦による「民芸運動」というものがあったのである。民芸というのはカルチャーに対するサブカルチャーであり、サブカルチャーをカルチャーと認めさせる運動だったと言えるかもしれない…
優劣の問題は素直に、そして真剣に考えなければならない。にも関わらず、近代においては価値の逆転、優劣の逆転の思想が根底にある。これに無自覚に引っ張られると、優劣の判断が正常にできなくなる。 「優劣」とはなにか?を改めて考えなければならない。最…
○時間と記憶の問題。常識的には人間に記憶があるのは明白だが、動物に記憶はあるのか?イヌやネコのような高等動物に記憶があるとして、昆虫やアメーバに記憶はあるのか? 認識には時間が伴う。時間を伴わない認識は成立し得ない。視覚的認識は、視覚の変化…