アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

寛容と判断力

これまでの私は「寛容」の心が足りていなかったのかも知れない。物事の「優劣」を判断する上でも、寛容の心は必要である。なぜなら不寛容である場合、物事を本質的な優劣で判断する以前に、自分の乏しい経験からくる「好き・嫌い」「分かる・分からない」で判断してしまうからである。


寛容とは、対象物に対して「良い点」を必ず見つけ出して褒めることである。私の場合も、1日のワークショップでは参加者作品に対し必ず良い点を見つけ出して褒めているが、決して嘘を付いているわけではない。これをすべての芸術作品に対して実行すること。


人はそれぞれに「つもり」が違っていて、自分の「つもり」と違うからといってそれを否定するのではなく、自分とは異なる人それぞれの「つもり」を理解することで、それに沿った「良い点」を見つけ出して認めることができる。これがひとつ「寛容」と言うことである。

つまり大抵の人は、例え悪い結果がもたらされようとも、いや犯罪的なエゴイズムであったとしても、本人の「つもり」としては「良い事をしようとしたつもり」でいたのであり、だからその人の「悪い面」よりも「良い面」を見つけて評価する方が、分析的に物事を見ることができるのである。