アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

人間と真実

ウィリアム・ジェイムズプラグマティズム』を読んでいるが、「事実は移り変わる」という「事実」が存在する。すなわち、かつて私にとって「非人称芸術」と紛れもなく「事実」であったが、今やさまざまな状況証拠からそれが「事実ではない」と認められるようになった。

過去の「間違った事実」も「事実」には違いがなく、事実にはそのような性質がある。

ヒューマニズム=人本主義を誤解していたが、人本主義に基づくならば、真実は「人」によって作られる。すなわちくだらない人からはくだらない真実が、優れた人からは優れた真実が生じる。くだらない真実は実用性がなく、ともすれば人々に害を与える。優れた真実は実用的で、人々に大きな実りをもたらす。

例えば、変な宗教にハマっている人や、あからさまな詐欺師に引っかかっている人は、その人たちが信じている「真実」が彼らを不幸にするのである。つまり彼らが信じているのが「真実ではない」のが問題なのではなく、「人を不幸にするタイプの真実」なのが問題なのである。

人がどうして真実でないものを信じることができようか。そして問題は、その真実の中身であり、それは人により異なっている。これはデカルト『方法論序説』冒頭の「人は誰でも良心に従うが、良心の内容は人により異なっている」という指摘に通じるものがある。

歴史的に見れば何が「真実」なのか?というその内容は時代を経るに従い徐々に改良が加えられ進化し続けている。一方ではもともとの「真実」の意味が時代を経るごとに忘れ去られ、「真実」の内容がどんどん堕落して行く。