アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

「第75回ラカンと美術読書会」のおさらい

9月6日に開催された「第75回ラカンと美術読書会」のおさらいです。
芸術分析塾ラカンの授業として月一回のペースで行われ、『精神分析の四基本概念』を参加者みんなで読んでます。
長年ラカンを読まれてきた彦坂尚嘉先生のレクチャーもあります。

それで今回あらためて学んだのは、ラカンのテキストが専門家でも容易に歯が立たないほど難解である理由について、それがある種の「秘伝」のようなものだと言うことです。
つまりラカンは、例えるなら昔気質の大工や料理人の親方みたいな人で、わかりやすく親切に教えようとせず、弟子に対し「秘伝」を語りながら「技を盗んで自分で考えろ」という具合に仕向けるのです。

実のところ他人から親切に教えられたことは、けっきょくのところ自分の身に付かず、大事なものが永遠を失われることになるのです。
ですのでラカンのテキストが難解なのは当たり前で、むしろ「分かった!」などと思うこと自体がウソで、なんだかわからないけど触発されて自分の考えが進んだ、というくらいでいいのではないかと、あらためて思った次第です。

そもそも私は学校の勉強が苦手で、それで進学の際は美大へと「逃げた」のです。
しかし結局社会人になって、さらにアーティストを続けるとなると、いよいよ勉強から逃れることが出来ず、超難解と言われるラカンも読むようになったのでした。

いや、勉強をせざるを得ない理由は「面白いから」と言うことに尽きるのですが、しかし日本の学校教育は、勉強を「つまらないもの」として、「つまらないことを我慢してできる子」の育成を目標としてますから、そうした価値基準の世界から私は落ちこぼれたに過ぎなかったのでした。
つまり、日本の学校教育は、自分の有能さを過小評価し、自分の無能さを過大評価するように、子供たちを仕向けていたのでした。

日本の子供達は、みな大人たちに騙されているのです。
いや、現在の日本に果たして「大人」は存在するのか?と言う意味において、日本の子供達は「大人と言う幻想」に騙され、自分で自分の首を絞めていると言えるのです。

他人を陥れる陰謀論の最たるものは、自分による自分への陰謀論です。
この、最も巧妙な陰謀を打ち破るために、フロイトが創始者となりラカンが継承した精神分析は、実に有効なのですが、わかってくることは実に単純なことで、「勉強は面白い」と言うことです。