アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

「超個体」と個人

大半の人間は「つまらない人生」を送る。なぜなら「面白い人生」は常に不安定で、予測不可能な危険に満ち、失敗や死の危険が伴い、自己決定に伴う責任がつきまとう。多くの人はそれらを極力避けようとするから結果として「つまらない人生」を送ることになる。

 

多くの人は「文明」というシステムを構成する「器官」となることで心の安らぎを得る。それもそのはずで、文明とは人間個体が細胞のように寄り集まってできた「超個体」として存在するのであり、各個人が細胞や臓器のように機能しながら人体のごとき文明を支えているのだ。

人間個人は動物個体としてという意味では自立して生きることができる。これに対して人体の各器官は、例えば胃や腸や心臓などと各器官は、それだけを取り出して自立して生きることはできない。そして文明内においてそれぞれの役割を担った個人は、文明を離れたという意味での個人としては生きられない。

あらゆる職業は、文明を維持するためになくてはならない大切な存在であり、それぞれが貴い存在である。文明を支える職業はそれ自体は面白いものではない。それは安全と安定をもたらすものであり、危険や責任を伴う「面白いこと」とは質を異にしている。

あらゆる職業はそれぞれが必ず誰かの役に立ち、感謝の対象となり、それ故に貴い。「職業に貴賎はない」とはその意味である。一方であらゆる職業にはある種のつまらなさが伴うが、その「つまらなさ」こそが安全、安定、心の安らぎを我々にもたらしてくれるのだ。