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現代思想と評論家

高田明典さんの本は昔はよく読んだのですが、改めて検索すると下記のインタビュー記事があり、そこでの肩書きが「現代思想評論家」とありちょっと驚きました。 http://www.47news.jp/hondana/seijirekkako/article/19.html

現代思想評論家」とは何でしょう?いったい高田明典先生はどのような立場において現代思想を評論されるのでしょうか?少なくとも「現代思想評論家」と名乗る以上、高田明典先生は現代思想家ではないのです。

以前の私は哲学や思想の入門書ばかり読んでいて、高田明典さんの本もずいぶん読んだのです。しかしここ数年は原著の翻訳を読むようになり難解と言われるフッサールも何冊か読んだのでした。そしてふと昔読んだ高田明典さんの本を振り返ってみたのです。

自分が持っていたたくさんの入門書や解説本は、原著を読むようになってから「くだらない」と思うようになり、ほとんど処分してしまいました。しかし今考えると惜しいことをしました。昔読んだ本を手放すと、自分の思考の過程を遡れなくなってしまうのです。

しかし高田明典『世界をよくする現代思想』は書棚に残っていたので、パラパラと見返してみたのです。改めて分かったことを端的に言えば、高田明典さんは仏教で言えば「在家者」で、在家の立場から「出家者」についてあれこれ評論されていたのでした。

この本の巻末にはブックガイドがあり、そこには
1)入門本
2)著者と同じ頭になるための本
3)さらに知識を補強するために読む(ピクニック気分で読む)
というカテゴリー分けがしてあります。

高田明典さんは、現代思想の分野で職業を得たいと考える人は、理想的には一年で三人を想定し「その人の考え方を自分のものにするため、著作の全ての文を何の疑問も感じないほどにまで読み込む」必要があると述べてます。もちろん完全な理解、同じ頭になることは不可能ですが、それを目指す読み方が必要だというのです。

私も最近になってフッサールの『現象学の理念』や『デカルト省察』をいちおうは呼んでみたのです。もちろんそれで「分かった」とはとても言えません。しかしもし、高田明典さんが言うようにフッサールの著書の全てを理解し、フッサールと同じ頭で考えられるようになったら、その人の人格そのものが変わってしまうはずなのです。以前私が書いたように、哲学を読んで理解すれば、人は超能力者になれるのです。

しかし高田明典さんによると、フッサールを読んでフッサールの頭になり、ニーチェを読んでニーチェの頭になり、デリダを読んでデリダの頭になり、と変幻自在なのです。そしてなぜそれが可能なのかと言えば、そのベースに「不変の自分」がいるのです。

「不変の自分」とは、どれだけ「他人の頭」で考えようとも戻ることが可能なホームポジションであって、つまりは「在家」としての立場なのです。この場合の在家とはフッサールが批判した生活世界、自然的態度、素朴で常識的で自明性を疑わない態度を指します。

つまり高田明典さんの現代思想の読み方とは、常識を越えた言語で書かれた現代思想書を、常識語に翻訳しながら読み、常識語に翻訳できたことを「理解できた」と言っているのではないでしょうか?確かに以前の私は高田明典さんの影響を受けそのように考えていたのです。しかし私の場合は原著を読むようになり、認識が変わったのです。

そう言えば私は橋爪大三郎さんの宗教社会学の本も何冊か読みましたが、思い返すと橋爪さんご自身が、どのような「宗教的立場」によって各宗教について論じているのかが不明瞭なのです。それでけっきょく「日本人の常識的な宗教観」というホームポジションを維持したまま、その他の宗教を比較して論じているのでした。

高田明典さんは現代思想評論家を名乗っていましたが、現代思想評論家は現代思想家ではなく、美術評論家は美術家ではなく、写真評論家は写真家ではなく、宗教評論家は宗教者ではないのです。すると評論家とは何者なのか?

例えば美術評論家が美術家でないとすれば、美術家から見て美術家ではない人は「一般人」です。つまり美術評論家とは一般人を代表して、専門領域である美術について語る人なのです。評論家とはあくまで一般人として、一般人にも分かるような言葉で、非一般的な専門領域について語るのです。

美術にしろ、現代思想にしろ、宗教にしろ、その専門家(当事者)が語るとそれ以外の一般人には理解しがたい専門的な話になります。専門家とは一般人から「出家」して、その分野にかかわる当事者になっているのです。そこで一般人という「在家」の立場から、在家社を代表して「出家」について語るのが、評論家の仕事であり能力なのです

思想哲学の評論家、宗教社会学者などの人々は、極めて優れた特殊能力を持っています。そのような人は膨大な量の専門書を読みこなせる能力、どれだけ専門書を読もうとも「変わらない自分」を維持できる強靱さ、一般性のない専門的言葉を「自分の言葉」に翻訳して理解する能力、などを有しているのです。

それが高田明典さんが言うところの「現代思想の分野で職業を得たいと考える人」が目指すべきところであるのです。