アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

赤瀬川原平さん死去

赤瀬川原平さんが亡くなられたそうです。
2014年11月27日、77歳だったそうです。

私は赤瀬川原平さんの「超芸術トマソン」の影響を多大に受けており、それで現在に至る自分があるのでした。

東京造形大を卒業して間もない1990年頃までの私は、「自分には才能が無い」という思いに囚われて、失意のどん底にいたのでした。

しかし、赤瀬川原平さんがその著書『超芸術トマソン』で提唱していたのは、作者不在の芸術を路上で発見して採集するという行為なのでした。

これなら個人の才能など関係なしに、自分にもできるし、ぼくは学生時代から、どういうわけか路上を当てもなく徘徊するクセがあって、それであらためて自分でもトマソン探しをするようになったのです。

発見したトマソンは、写真で記録することになりますが、赤瀬川さんによると「写真作品」として構図や光に芸術的に凝ったりせず、あくまで「記録写真」として、できれば角度を変えるなどして2.3枚撮りましょう、と言うことで、これも当時の自分には福音であったのです。

なぜなら私はカメラが好きでも「写真」がよく分からず、それも自分の才能の無さだと思っていたのですが、「記録写真」に徹するのであれば、そんなことを気にすることなく、心置き無く大好きなカメラを使うことができるのです。

そんなわけで、私は赤瀬川原平さんのおかげで自分を押さえつけていたものから解放され、ある種の「自由」を手に入れた気分になり、その「自由」によってそこから発展した「フォトモ」などの表現や「非人称芸術」のコンセプトが生まれることになったのでした。

現在、「町田市文学館ことばらんど」にて『尾辻克彦×赤瀬川原平-文学と美術の多面体-』が開催中なのですが、私は関連企画として11月16日に「フォトモワークショップ」を開催させていただくことになってます。

赤瀬川原平さんの影響を受けた作家として、学芸員さんに選んできただき、大変に光栄です。

この打ち合わせの際に、赤瀬川さんの体調がだいぶ良くないことは伺っていたのでした。

実は、私は赤瀬川原平さんに直接お目に掛かってお話しする機会がなく、残念な思いです。

しかし、著作は繰り返し読んで、その文体を真似しようとしたのですが、結局のところ性格の違いのせいか、自分には身につきませんでした。

いや、そうした「ズレ」を許容するセンスも含め、赤瀬川さんには多くを学ばせていただいたのです。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

http://sp.mainichi.jp/select/news/20141027k0000m040143000c.html