アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

マイケル・ポラニー『暗黙知の次元』

マイケル・ポラニー『暗黙知の次元』を再読してます。

人は目的は言語化できますが、その手段を言語化できず、暗黙知化しています。例えば、歩くという目的に対し、歩き方を説明することはできません。

人は目的を言い表すことはできても、その手段を言語化することができません。そして多くの場合、人は目的と手段を取り違え、様々な説明不能に陥るのです。例えば「芸術とは何か?」がわからない人、あるいは「写真とは何か?」が分からない人は、目的と手段を取り違えているのです。

人は自分にとっての目的と手段を取り違えると同時に、他人が自分に要求するところの目的と手段とを取り違えます。他人と争いが起きるのは、目的と手段の取り違えがもたらす「説明不能性」がその原因です。

言語を機能面から見れば、シニフィアンとは手段で、目的はシニフィエです。

目的により、その手段が暗黙知化されます。多くの人は目的に目を奪われ、多くの事物を見失っています。

目的と手段を逆転させ、暗黙知に光を当てようとする行為が、哲学であり、芸術です。

シニフィエを目的とし、シニフィアンを手段とするのが日常世界であり、常識の世界です。そのようなシニフィアンシニフィエを逆転することで、哲学や芸術は生じます。ソクラテスやブッダが行なったのもその事です。

臆病で何もできないでいる人は、自分の身を守るという目的にとらわれ過ぎて、その手段を見失い、結果として無防備になるのです。


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