アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

素朴と発見

野蛮な人の理性は機械の中だだけで作動し、大量の人を殺します。海外だけのことでも、過去のことだけでもありません。

トートロジーは快感原則が支配しています。快感はあらゆる場合において同義反復的なのです。

人間の左右の目は、それぞれ機能にどのような違いがあるのでしょうか?実は人間の目は、視界の中心と周辺部とで機能が分かれています。私が本を読みながら歩く読書歩行術が可能なのは、その原理によります。単行本までなら歩きながら読めますが、A4サイズの雑誌は視界周辺が覆われて歩けません。

ラカン現実界には、出会い損ねた現実を含みます。

認識の外部とは、どの世界を指すのでしょうか?五感に感知し得ない外部世界、と考えるのは素朴です、素朴から脱するには、素朴であることを認めなければ始まりません。

自分がいかに素朴であるかという「発見」が、素朴からの認識をもたらします。素朴な認識で、その認識を得ることはできません。どこまで行っても、素朴の迷路から抜け出せない仕組みがあります。

それぞれの事実はまぎれもない事実だが、事実を取捨選択し編集することで詐術が可能となる。

事実の編集によって判断の規制が行われる。