アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

歴史と遠近法

自分の好みに囚われている人は、それによって視界が遮られ、遠近法が狂わされています。

歴史とは遠近法です。幼児にとっては昔から存在する古いものも、最近登場した新しいものも、あらゆるものが「自分にとって新しいもの」として均等に存在します。それは歴史的な遠近感のない、立体感と奥行きのない、平面の世界です。人は物事の歴史を知る事によって、歴史としての遠近法を獲得します。

「自分の好み」に囚われる人、つまりあらゆる事物を自分の「好き」「嫌い」で分類する人は、それによって物事を歴史的に分類し、歴史的な遠近法を形成する目が遮られてしまうのです。「自分の好み」に囚われる人は、幼児の頃からさほど変わらない歴史的平面の世界を生きています。

人は「自分の好み」をどう扱えば良いのでしょうか?それは「自分の好み」を文字通りカッコに入れる事です。カッコに入れるには「自分の好み」を現実ではなく「現象」と見抜く視点が必要になります。

遠近法的に美術史を形成しないアーティストは道に迷います。そして歩みを止め、その場に留まるようになります。それは動物の植物化です。セミが進化してアブラムシになり、さらにカイガラムシに進化しするようなものです。アーティストには遠近法的な歴史を自在に行き来する動物タイプと、任意のそれぞれの位置に着生する植物化タイプとがいるのです。