アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

自尊心と独創性

人は何を目的にして生きるのか?もちろん人それぞれですが、自分を反省的に捕らえて考えてみるならば、一つには、人はプライドを満たして安心を得るために生きています。その欲望は外敵から身を隠して安心するという動物的衝動に根差しています。

多くの人はプライドを満たして安心を得るために生きています。ところが同時に多くの人が、自分が劣った存在であることも知っています。ですから各自が自分が可能な範囲でのプライドを満たし、可能な範囲でのプライドを満たそうとします。

多くの人がプライドを見たそうとしている一方、各自のプライドの内容が違っているのです。つまりお互いにお互いのプライドのあり方を「くだらない」と見下しながら、各自のプライドを守る、そう言う構造が確かに存在するのです。

多くの人が自尊心を満たすことを目的に生きる一方で、同時に自分で自分が尊敬に値しない人物であることを知っています。そこで各自が独自の方法によって自分なりの自尊人を満たす方法を「創造するのです。人の創造性は、一つはそのような形で発揮されるのです。

プライドを満たすことを目的に生きる人は、プライドの持ち方が各自特殊化し、相互に理解不可能になります。それでいて各自が自身のプライドのあり方を「普遍的」だと信じており、それだからこそ各々がプライドを守ることができるのです。有り体に言えば各自がプライドの固い殻に閉じこもっているのです。

自分が自分で尊敬に値しないと思っている人ほど、即ちコンプレックスが強い人ほど、自分のプライドを満たすための独自性の高い理由を創造するのです。コンプレックスの強い人ほど、独自性の高い理由でプライドを満たそうとします。

コンプレックスの強い人は「思い込みの強い人」であり、思い込みの強い理由によって自分のプライドを満たそうとします。そのため他人からは理解不能となり、そのような人も決して他人を理解しようとはしないのです。