アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

認識と先行

言葉は認識の対象であり、つまり自分の存在に先んじて言葉は存在している。自分の存在に先んじて、既にあらゆる事物に名前が付けられている。

言葉は特定の事物と対応している。一つの事物には複数の種類の言葉が対応し、また事物の特定範囲は言葉の種類によって異なる。

言葉は人間の脳内の現象であり、言葉と対応する事物は脳の外部の物理的現象である、と考えてはならない。現象学的に捉えるならば、言葉と言葉に対応する事物は、どちらも人間の認識世界に生じる意識現象なのである。

自分は様々な事物を認識するが、他人もまた様々な事物を認識する。自分は認識をするが、他人は認識ということをしない、ということはあり得ない。なぜなら他人の認識を真似て、自分もまた認識するからである。つまりあらゆる他人は、自分に先んじて存在しているのである。

たとえ自分より若い人であっても、子供であっても、その人は自分に先んじて存在している。なぜなら例えば子供が何事かを認識するとして、何によって認識しているかと言えば、自分より先んじて存在する他人によって認識しているからである。