仏教とファンクラブ

実は昨日、仕事で数年ぶりに浅草の浅草寺に行ったのですが、いま読み返してる最古の仏典『ブッダのことば』と比較して、世界観があまりに違いすぎて「これは何なんだろう?」と考え込んでしまったのでした。

ともかく、浅草寺は日本人はもちろん外国人観光客でごった返して、あたかも世界中から浅草寺に向かって人が押し寄せてくるかのようです。

浅草寺の建物は大きくて立派で、参拝する人は皆うれしそうにしています。

一方、『ブッダのことば』は、ブッダの入滅(紀元前383年 : 中村元説)の後にしばらく口伝によって伝えられたそのことばを、のちの時代に書き留められ編纂されたもので、これより前に遡る仏典は存在しないとされています。

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この『ブッダのことば』によると、ブッダはシャカ族の王子として生まれたにもかかわらず、出家をして家を持たない生活をします。

ブッダは家を捨て、家族も捨て、財産も捨て、贅沢な楽しみの全てを捨て、人間に備わる「自然な欲望」にことごとく逆らいながら「さとり」の境地に達するのです。

そのようにブッダの教えは大変に厳しい個人修行であり、その通りに実践するのは非常に困難で、とても一般の人に勧められるものではありません。

そこで、初期仏教を個人しか救済できない「小乗仏教」として批判するかたちで、一般民衆を含む多くの人々を救済する「大乗仏教」が出現し、発展していったのです。

そして、6世紀に中国から朝鮮経由で日本にもたらされたのは「大乗仏教」で「小乗仏教」は伝えられておらず、だから浅草寺も当然のことながら大乗仏教のお寺なのです。

このように立派な浅草寺にあらためて驚いてしまうのですが、なぜなら『ブッダのことば』でブッダは出家して家に住むこと自体を否定してますから、当然ながら「立派なお寺」の存在も認められるはずがないのです。

また、ブッダは日本のお坊さんと同様頭を剃っていますが、りっぱな袈裟などは身に付けず、最低限の粗末な衣服で済ましています。

さらに仏像や仏画などを拝むこともなく、そもそもブッダは色や形あるものに対する「目の楽しみ」そのものを否定し、抑制せよと説いているのです。

これに対して浅草寺をはじめとする日本のお寺は、建物大きく立派で、お坊さんはきらびやかで立派な身なりをし、仏像や仏画が礼拝物として納められています。

そして浅草寺を訪れる大勢の礼拝者もそのほとんどが、仏教の厳しい修行をしているとはとても思えないような一般の人たちなのです。

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そのように見ると初期仏教と日本の仏教は全くの別物で、なぜそんな違いがあるのか?についてあらためて悩んでしまったのです。

そこでふと閃いたのですが、これは「野球選手とファンの関係」のようなものではないか?ということに思い当たったのです。

野球選手を熱心に応援するファンは、その人自身が野球選手であるわけではありません。

厳しい訓練をして野球の技を磨くのは野球選手自身ですが、それを応援するファンはあくまで普通の人たちで、そのような厳しい訓練をして特殊技能を身につけたりはしないのです。

しかし、自分にできないことができる野球選手を応援することで、自分自信も元気になって、自分なりの仕事を頑張ったりできるようになるのです。

つまり初期仏教『ブッダのことば』とは、野球で言えば「野球選手のなり方」の本であり、これに対して後に成立した大乗仏教は「野球選手のファンクラブ」よようなものではないか?ということに気づいたのです。

日本の浅草寺をはじめとする大乗仏教は「ブッダのファンクラブ」だと解釈すると、あらゆる事柄の辻褄が合います。

ブッダのファンクラブだからファン自身は修行しなくていいし、ファンクラブだから建物は大きく立派で、内装はきらびやかにしたほうが、よりたくさんのファンが集まって、みんなでブッダを応援することができるのです。

そして自分にはとてもなし得ない行いをしたブッダを応援することで、自分自身が元気になり、また幸せになれるのです。

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そして同じことは、キリスト教にも当てはまるのです。

実は『新約聖書』を読むと、キリストが生きていた時代にキリスト教の「教会」は存在しなかったし、またキリスト自身はボロをまとって遍歴しながら人々に教えを述べ、当時のユダヤ教の司祭が立派な衣をまとって威張っているのを批判しているのです。

ところがのちの時代のカソリックは立派な教会を建て、内部を絢爛豪華に装飾し、司祭は立派な身なりをして威張っており、キリストの教えにことごとく背いているかのようです。

しかしこのカソリックも、キリストの「ファンクラブ」だとすれば、実に納得ができるのです。

キリストのように自ら十字架に架けられるような苦しみは、誰もが受けることはできませんが、そのようなキリストのファンとなって、ファンクラブを結成し、みんなで応援することにこそ意味があるのです。

するとオウム真理教とは何だったのか?

それはつまり麻原彰晃とは仏教のいちファンクラブの会長に過ぎなかったのに、自ら教祖を騙ってファンを先導して謀反を起こしたと、そう考えることができるのです。

ブッダによるデカルト批判

古代インドの最古の仏典『ブッダのことば(スッタニパータ)』(中村元訳/岩波文庫)を読んでいたら、下記の一節があって驚いたのですが、

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九一六 師(ブッダ)は答えた、「〈われは考えて、有る〉という〈迷わせる不当な思惟〉の根本をすべて制止せよ。内に存するいかなる妄執をもよく導くために、常に心して学べ。

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これは明らかにデカルトの「我思うゆえに我あり」の批判になっているのです。

デカルトが「我思うゆえに我あり」と記した『方法序説』が出版されたのが1637年で、ブッダの生没年が紀元前463年 - 紀元前383年(中村元説)ですから、ブッダデカルトより2000年も前に「我思うゆえに我あり」に気付いて、しかも「そんなのは〈迷わせる不当な思惟〉に過ぎない」と批判しているのです。

「我思うゆえに我あり」すなわち「我は考えて、ある」の何が不当なのか?はまず実際に『方法序説』を読めばわかります。

この本の後半でデカルトは、人体の血液が循環するメカニズムについて詳細に述べていますが、当時のヨーロッパではまだそれが解明されていなかったのです。

それでデカルトは「考え」を働かせて、「血液の循環は、心臓で高温加熱された血液の熱膨張による」と言う説を延々と披露します。

しかしこの理論は科学的に「間違い」なのは明らかで、つまりデカルトは人体をよく調べもせずに、自分が思ったこと、考えたことを「空想」で述べたに過ぎないのです。

このような「空想」は、いかに精緻に理論を組み立てても、現実に的中しない以上、虚しいものです。

しかし精緻な理論を組み立てられると、いかに事実から外れていたとしても、多くの人はつい騙されてしまうのです。

さて、ブッダは先の言葉に続いて

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九一七 内的にでも外的にでも、いかなることがらも知りぬけ。

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と述べていますが、つまり「考える」より先に「知る」ことが大事で、これは今の言葉で言えば「リテラシー」です。

つまり、情報化社会と言われる現代には様々な情報にあふれ、それらの情報をきちんと読めば様々なことを「知る」ことができ智慧が身につくのです。

最古の仏典『ブッダのことば』が日本語訳で読めるのも情報化社会のおかげで、何しろこの最重要経典は、江戸時代までの日本には輸入されて来なかったのです。

これに対し、情報をきちんと収集せず、あるいは情報を生半可に読んだ挙句に、自分の頭による考えを巡らせるのは、あらゆる間違いの元なのです。

仏教は一般的には宗教ですが、近代以前の宗教は哲学と未分化で、特にこの『ブッダのことば』は哲学書としても大変に優れていて、現代日本人にも当てはまるような普遍的問題を扱っているのです。

 

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江戸時代に縄文文化はなかった

昨日は上野の東京国立博物館で『縄文展』を観ましたが、縄文文化とはなにか?ということをウィキペディアで確認すると、なんと江戸時代には文化はなかった!

どういうことかと言えば、日本の縄文文化は明治になって来日したアメリカの博物学エドワード・モースによって発見され、つまりそれまでの日本人は、過去にそんな縄文文化なんてものがあったなんて全く知らなかったし、興味もなかったのです。

人間というものは自分のことは忘れっぽく、だから他者に指摘されることで、忘れた過去を思い出すことが出来るのであり、日本人にとっての縄文文化とは、そういうものであったのです。

ところが戦前の日本は皇国史観が重要視されたため、縄文文化の研究はあまり進まず、本格的に研究され、教科書にも採用されて一般に認知されるようになったのは戦後になってからなのです。

そう考えると、縄文文化というのは意外に歴史が浅くて「新しい」と言えるのです。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/縄文時代

仏教とメディアリテラシー

仏教、と言ってもいろいろあるのですが、私が最近読み返してるのが『ブッダのことば』で、これは現存する最古の仏典で、キリストが生まれる300年も前に書かれたものです。

仏典とは何か?と言えば、仏教の開祖であるゴーダマ・ブッダは自分で本は書かないで、その教えの言葉が弟子たちの口によって伝えられ、そしてある時から文字に書き留められるようになったのです。

そのように書き留められた「ブッダのことば」は、時代を経るごとにさまざまな解釈が書き加えられ、さらにオリジナルから離れた独自の思想として発展して行きます。

日本には、6世紀半ばに中国経由で漢訳された仏教がもたらされますが、それはオリジナルから離れた「大乗仏教」であったのです。

そして近代になってようやく、パーリ語で書かれた『ブッダのことば(スッタ・ニパータ)』が日本にももたらされて、前後に中村元さんによって日本訳が岩波文庫で出版され、誰でも読めるようになったのです。

その『ブッダのことば』を今日ちょっと読んでいたら、まったくもって現在のネット時代のメディアリテラシーに当てはまる言葉があったので、ご紹介しようと思った次第です。

今から約2300年前に書かれた言葉が、まったく違和感なく現代に通じると言うのは不思議なことですが、それだけ人間は変わっていないと言うことなのかもしれません。

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ブッダのことば』(中村元訳)より
第四 八つの詩句の章
五、最上についての八つの詩句

世間では、人は諸々の見解のうちで勝れているとみなす見解を「最上のもの」であると考えて、それよりも他の見解はすべて「つまらないものである」と説く。それ故にかれは諸々の論争を超えることがない。

かれ(=世間の思想家)は、見たこと·学んだこと·戒律や道徳·思索したことについて、自分の奉じていることのうちにのみすぐれた実りを見、そこで、それだけに執著して、それ以外の他のものをすべてつまらぬものであると見なす。

ひとが何か或るものに依拠して「その他のものはつまらぬものである」と見なすならば、それは実にこだわりである、と<真理に達した人々>は語る。それ故に修行者は、見たこと,学んだこと·思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない。

智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、世間において偏見をかまえてはならない。自分を他人と「等しい」と示すことなく、 人よりも「劣っている」とか、或いは「勝れている」とか考えてはならない。

かれは、すでに得た(見解)(先入見〕を捨て去って執著することなく、学識に関しても特に依拠することをしない。人々は(種々異った見解に)分れているが、かれは実に党派に従せず、いかなる見解をもそのまま信ずることがない。

麻原彰晃を評価した吉本隆明

吉本隆明は、戦後日本を代表する思想家などと言われてますが、私はこれまで一冊も読んでこなかったのでした。

ところが「吉本隆明麻原彰晃を擁護していた」ことを小耳に挟み、改めて興味を持ってネット検索してみたのでした。

するとウィキペディアがヒットして、その中に「オウム真理教評価について」と言う項目がありました。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/吉本隆明

これによると吉本隆明は、地下鉄サリン事件の“後”に「宗教家としての麻原彰晃は評価する」と産経新聞上でのインタビューで答えていたそうで、遅ればせながらかなり仰天し、また呆れてしまいました。

私自身は、以前にFacebookでも明言した通り、麻原彰晃は宗教家としてはインチキの詐欺師に過ぎないと思っており、ですからこの問題について改めて考えてみたいと思います。

ただ、ウィキペディアに記載されているのは吉本隆明の発言のごく一部でしかありません。

そこでさらに検索したところ、産経新聞の記事は見つかりませんでしたが、1995年9月に東京夕刊に掲載された連続対談をアップしてくれた方がいたのです。

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【宗教・こころ】吉本隆明氏に聞く(1)弓山達也氏と対談 [1995年09月05日 東京夕刊]
 ◆麻原被告を高く評価 犯罪は否定、宗教は肯定
http://www.asyura2.com/sora/bd5/msg/733.html

あらためて読んでみると、これも全く馬鹿げた内容で呆れてしまうのですが、中でも次のような発言をされています。

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吉本「僕は思想家麻原を評価する根拠が一点あるんです。それは『生死を超える』という本の前半部で、麻原さんが修行の過程と段階とをとても実感的に説いていて、はっきり体験的に表現している点です。仏教系の経典とか本とかで、日本の奈良朝までの修行僧が、何をやっていたのかは『生死を超える』を読むと、ああこういうことをやっていたんだ、ということが全部言われてしまっています。僕は『生死を超える』という本は『チベット死者の書』や仏教の修行の仕方を説いた本の系譜からいえば、相当重要な地位を占めると思っています。あそこまで言ってしまったら、仏
教の修行の秘密や秘密めかしたところが何もなくなってしまいます。つまり、相当な人でないとここまでやれないよ、と思うのです。やっぱり相当な思想家だと思います。」

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ここまで言われると、麻原彰晃の『生死を超える』を読んでみたくなるのですが、ダメ元で検索してみると、なんとこの本がPDFファイルでアップされているのです。

http://info.5ch.net/images/8/8c/生死を超える.pdf

それで前半部分をざっと読んでみたのですが、これもまぁ、呆れるほどバカらしいものでしかないのです。

何が馬鹿らしいのか?端から指摘して行くとキリがないですが、ざっくり言えば吉本隆明麻原彰晃も、仏教の何たるか、宗教の何たるか、思想の何たるかをまったく理解できていないように私には思えるのです。

その意味で二人は同じ穴のムジナであって、だから吉本隆明麻原彰晃を高く評価したのです。

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それでは仏教とは何か?オウム真理教は仏教として何が間違っているのか?

私の場合「仏教とは何か?」を考える上で、現存する最古の仏典とされる『ブッダのことば(スッタニパータ)』(中村元訳/岩波文庫)に遡って捉えようとします。

この方法は、彦坂尚嘉先生の影響ではありますが、何でも最初に遡って読むことが、物事の本質を考える上での近道なのです。

さて、仏教の開祖とされるブッダ(ゴーダマ・シッダッタ)は自分では文章を書かずに、従ってブッダの教えは口伝によって弟子へと伝えられ、のちの時代の人々に受け継がれて行ったのでした。

そして、しばらく経ったある時から、言い伝えが文字によって書き留められるようになったのです。

さらに時代が経るに従って、仏教経典にはさまざまな注釈や解釈が書き加えられ、多数の経典が派生してゆきます。

日本には6世紀半ばに中国経由で仏教がもたらされますが、それはサンスクリット語パーリ語から漢訳された仏典で、しかもオリジナルからすっかり変貌を遂げてしまった「大乗仏教」だけで、『ブッダのことば』は含まれていなかったのです。

だから「仏教とは何か?」を考える上で、日本仏教から考えるのは残念ながらあまり有効とは言えないのです。

現在の日本は、江戸時代以前とは異なって、古代インドで記されたパーリ語の『スッタニパータ』から直接日本語に翻訳された『ブッダのことば』が誰でも読める環境なのですから、まずその原点に遡って「仏教とは何か?」を考えなければ意味がないのです。

ところが吉本隆明は仏教としては親鸞の教えを評価しており、『ブッダのことば』については一切言及がないのです。

それは麻原も同じで『生死を超える』においても『ブッダのことば』について一切触れられていません。

麻原は『ブッダの言葉』の存在を知らなかったのか?と言うと実はそうではなく、YouTubeに90年代当時にオウム真理教を取材したテレビ番組がアップされており、その中でオウムは仏教の源流を明らかにするため世界各地からさまざまな仏教経典を集めて翻訳していることが紹介され、そこで英語版と思われる『スッタニパータ』の表紙が大写しされたのを私は確認したのでした。

オウム真理教は『ブッダのことば』を収集しながら、なぜ教義としてスルーしたのか?

それが麻原とオウムが本質的に仏教を理解していなかったことの表れであり、「間違い」に至った理由でもあるのです。

端的に言えば、『ブッダのことば』に記された仏教が「宗教」であるのに対し、麻原が『生死を超える』に記したオウム真理教は宗教ではなく「呪術」であったのです。

つまり麻原は「宗教」の何たるかを理解できずに、それを「呪術」に置き換え、そして多くの人の共感を得て信者を獲得したのでした。

宗教と呪術は何が違うのか?

分かりやすく言えば、ブッダは当時のインドで修行者がやるような「苦行」を一通りやってみたのですが、それが無意味であることを悟るのです。

肉体的な苦行によって「超能力」が得られると言う考えは全くの絵空事に過ぎないことを、古代インドのブッダは見抜いたのでした。

それでは『ブッダのことば』では何が重視されているのか?言ってみればそれは「言語による精神改造」で、フロイトラカン精神分析にも通じるものです。

人間は言語によって思考し、従って人間の精神は言語によってプログラミングされており、だから言語を制することが精神を制することであり「悟り」へと道であると、現代的に解釈すればそのような教えをブッダは説いているのです。

具体的に見ると『ブッダのことば』の出だしは次のようになっています。

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ブッダのことば』
第一蛇の章
一、蛇

一、蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起ったのを制する修行者(比丘)は, この世とかの世とをともに捨て去る。−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

二、池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る-蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

三、奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して余すことのない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。-蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

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まだまだ続きますが、このような言葉を繰り返し暗唱しながら、各自の生にとってそれがどんな意味を持つのか?と解釈し続けることが「修行」になるわけで、そこには超能力などの空想的な神秘性は微塵も存在しないのです。

対して麻原の『生死を超えて』はどうかと言えば、のっけから肉体的な修行の話で、それが目的ではないとしながらも、「超能力」が身に付くと宣伝しているのです。

また、修行の段階によって非常な快楽や神秘体験が得られるとされていますが、それらは肉体を痛めつけることにより脳内モルヒネが出てるだけでは?と思わせるものがあるのです。

このように「超能力」や「快楽」や「神秘体験」を目的に苦行をすること自体が、ブッダがその言葉によって否定した「呪術」に他ならないのです。

だから吉本隆明が評価した「麻原さんが修行の過程と段階とをとても実感的に説いていて、はっきり体験的に表現している点です。」と言うのは、実際に読んでみても全くの世迷言でしかないのです。

そしてオウムは1988年に、過度な肉体的修行による過失事故により死者を出し、それを隠蔽するために故意の殺人を組織的に行い、これをきっかけに犯罪者集団の道を歩み始めるのです。

文明と弱者

news.livedoor.com



なかなかに過激な放送がNHKで放映されて、賛否両論のようです。

それで私の意見としましては、まず文明以前の原始時代の人類は、過酷な自然環境の中を生きていて、だから障害者どころか少しでも弱い人間はバタバタと死んで行き、だから人口は現在にくらべて格段に少なかったのです。

しかし人類は農業とともに「文明」というシステムを発明し、その発展とともに人口を爆発的に増やして行きます。

つまり文明とは、自然環境では生き残れないような「弱い人間」を、安全で快適な人口環境によって「救済」するシステムなのです。

文明とは本来的に「弱者救済」のシステムで、このことは『ハンムラビ法典』にもはっきりと明記されています。

日本列島に稲作がもたらされる以前の縄文時代の人口は、最大で約26万人だったそうです。

これに対し、現在の日本の人口は1億2700万人だそうで、その数を比較するだけで、どれほど多くの人間が、現代文明の恩恵を受けているかが分かるのです。

そしていくら文明が進歩しても、自分が事故に遭ったり病気になったりして、障害者になる可能性はゼロではありません。

ですから、かつてのナチスのように障害者を単純に切り捨ててしまうと、人びとは根本のところで安心が得られず、つまり「文明」と言うものに信頼が置けなくなって、そのようにして文明は衰弱してゆくのです。

いったん衰弱した「文明」を復活させるのは実に難しいことで、それは現に文明的なものが衰弱してしまった地域を見ればよく分かることです。

ですからわれわれは、古代の昔から延々と築き上げてきた「文明」というシステムを、大事にしてゆかなければならないのです。

ハンムラビ法典と伊東乾批判

アエラの記事ですが読んでる途中、2ページ目に下記の記述があって「あれっ⁈」と思ったのですが、

「残された時間を精一杯生きる」と、落ち着いた表情で語る豊田君と、私はブロックチェーンや暗号の数理を考え、エジプト式分数を一緒に計算し、古代ハンムラビ法典の野蛮と中世イスラム法の寛容の差を議論した。

私も実は『ハンムラビ法典』原典約を読んでいるのですが、それは決して「野蛮」と言えるものではないし、そもそも「野蛮」ではあり得ないのです。

なぜなら「野蛮」とは、人間が「文明」を築く以前の段階を指しており、ハンムラビ法典が記された古代バビロニアは、れっきとした「文明」であるからです。

そもそも人類史700万年、現生人類(ホモ・サピエンス)20万年と言われてますが、その大半を人類は数十人から百数十人規模の小集団に分かれて「野蛮」な生活を送っていたのです。

ところが、約一万年前にメソポタミアの地に「文明」が発生します。

文明とは、それまで小集団に分かれて暮らしていた人々を統合し、みんなで力を合わせて農業を営んだり、城壁を築いてその中に都市を作ったり、そのようにして自然の脅威から身を守りながら、安定して食物を分配するシステムなのです。

そして、その文明としてのシステムを実現するために、それまで小集団ごとにバラバラだった「言語」を統一したり、バラバラだった「宗教」を統一したのです。

また、文明としての集団生活で何が「悪」なのか?を考え、盗みや殺人などを「罪」と定め、それに対する「罰」を決め、そのようにして「法」が整備されていったのです。

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ハンムラビ法典の内容を具体的に見ると、例えば

§1もし人が(他の)人を起訴し,彼を殺人(の罪)で告発したが,彼(の罪)を立証しなかったなら,彼を起訴した者は殺されなければならない。

まず殺人の罪よりも先に、殺人の「偽証」についての罪が定められているのです。

現在の感覚でこれで「死刑」は厳しすぎると言えますが、この時代は他人を陥れようとする「偽証」が横行していたことが窺い知れるのであり、そうした野蛮な行為を「罪」と定めて罰すること自体が「公正」で「文明的」と言えるのです。

次ですが、

§22もし人が強盗を働き,捕えられたなら,その人は殺されなければならない。

強盗で死刑とはずいぶん厳しくて、これを持って不寛容で野蛮だと判断する気持ちはわかりますが、しかし次をご覧下さい。

§23もし強盗が捕えられなかったなら,強盗にあった人は,無くなった物をすべて神前で明らかにしなければならない。そして,強盗が行われたその地あるいは領域の(行政権を有する)市とその市長は,彼の無くなった物は何であれ彼に償わなければならない。

なんと、強盗被害に対する社会保障が定められているのです。

また、ハンムラビ法典の最後には次の一節が記されています。

§強者が弱者を損うことがないために,身寄りのない女児や寡婦に義を回復するために,アヌムとエンリルがその頂を高くした都市パロンで,その土台が天地のごとく揺ぐことのない神殿エサギラで、(民)の(ための)判決を与え,国(民)の(ための)決定を下すために,虐げられた者に正義を回復するために,私は私の貴重な言葉を私の碑に書き記し, (それらの言葉を)正しい王である私のレリーフの下に置いた。

これは全く、社会的弱者を救済するための法であって、そのような「善意」が根底にあるからこそ大勢の人々が信頼しあって「文明」を形成できるのであり、これを「野蛮だ」と言うことは出来ないのです。

バビロンのハンムラビ王(前1792-1750年)の時代に記されたハンムラビ法典ですが、これが世界初の法典と言うわけではなく、それ以前にあった法典の精神を受け継ぎ改良したもので、その伝統は記事にもあった中世イスラム法(これは私は読んでませんが)などを経て、現在の日本の法にまで通じているのです。

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さて、この記事を読んで「あれっ?」と思って、末尾の記者名を見ると“(作曲家・指揮者 伊東乾)”とあって、「あぁっ!」と思ってしまったのです。

なぜならこの伊東乾という人は、先ごろ「大学の先生宛てのメールに“様”を付けるのはケシカラン!」とツイートして炎上した、東京大学准教授だったからです。

そしてウィキペディアで確認すると、死刑になった元オウムの豊田亨と、伊東乾准教授は東大時代の同級生で、それで豊田死刑囚と面会を重ねて記事を書いていたのです。

その行為自体は立派で社会的に意味のあるものだと思いますが、しかし前述したように「ハンムラビ法典の野蛮」という解釈は全くの間違いで、これは重箱の隅をつつくような指摘ではなく、物事を考える上での「基本」がなっていないことを示すものなのです。

つまりオウムの豊田亨にしろ、伊東乾准教授にしろ、東大出で学歴は立派であるはずが、「文明とは何か?」を考える上での基本文献であるところの「ハンムラビ法典」もロクに読むことが出来ないのです。

それは「ハンムラビ法典殺人罪の適用が多く、時代的にも古く、だから野蛮だ」という通俗的な解釈をなぞっているだけであり、「自分の頭」で読んでいないのです。

私が読んだ「ハンムラビ法典」原典訳は、仮名遣いも新しくて読みやすく、内容も特に難解ではなく、素直に「自分の頭」で読めば、それが決して野蛮ではなく、現代にまで通じる社会保障を含めた「法」の基本を成していることが分かるはずなのです。

東大を出たこの二人が、なぜそのような簡単なことを読み誤るのか?

と言えば、この際あえて乱暴にハッキリ言ってしまえば、「東大卒=頭が良い」という価値判断自体が、単なる思い込みに過ぎず、もっと言えば「洗脳」の一種であるのです。

私はこの「洗脳」を時間をかけて徐々に解いてきているのですが、その方法の一つとして、例えば「ハンムラビ法典」を実際に読んで、「目には目を、歯には歯を」などという通俗的な評価に惑わされず「自分の頭」で読んでみる、と言うことをしているのです。