アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

芸術の時代と、芸術ではない時代


芸術の時代と芸術ではない時代


昨日ね、長野の小布施町北斎館、葛飾北斎の美術館ですね、実家に帰省するたびにそこ観に行くんですけども、素晴らしい北斎の作品が展示してありまして、それでとにかく全然見たことない作品が並んでましたね。

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北斎館は帰省するたびに行くんですけども、そのたびに展示替えがあって、って言うか企画展があって、学芸員さんがずいぶんがんばってね。

昨日は北斎と視覚効果みたいな、そういう企画展でしたけども、ぜんぜん見たことない作品ばかりで、私はかなり興奮して一生懸命見て、眼が本当に疲れてしまったんですけども。

まあ改めて思うのは、まず北斎自身がすごく才能があって、それで本当にレオナルドダヴィンチ級の人だと思うんですよ。

一点一点作品が違うんですね。

だから同じように神奈川沖浪裏波がザッパーンとね、ああ言う同じような絵もいくつかあるんですけども、それぞれ違う波を描いているんですよ。

富士山の絵もたくさん描いてますけども、どれも違って工夫を凝らしていて、教養と知性と技術の限りを尽くして作品を作っていて、すごいなという風にして思うんですね。

北斎も頭使って書いてますからね、だからこっちも頭を使って色々「ああこういう風にして工夫してるんだな」って頭使いながら見るから余計疲れるんですけども。

だからそうやって北斎のレベルが高いってのはわかってるんですけども、見れば見るほどレベルの高さがより理解できてくると。

レオナルドダヴィンチの勉強もちょっとしたのでそういう関連で北斎を観ると、ぜんぜん引けを取っていないと言うかね。

時代は違いますけどもやっぱり一般的に言うと江戸時代というのは遅れた時代で、封建時代で、そっから西洋から進んだ文明が入ってきたというふうにして何となく思ってますけども、全然そんなことがなくて、北斎の作品を見る限り文化レベルってのはぜんぜん同時代のヨーロッパにもひけを取らない取らないぐらい成熟して、大変な域に達していたんだなというのがね、北斎の作品を通してよくわかったんですけども。

それも北斎一人だけが凄いわけじゃないんですよね。

つまり北斎というのは売るために絵を描いていたわけですから、北斎の浮世絵というのを江戸の庶民たちが買ってたわけですよね。

だから江戸の庶民というのはそういう北斎の作品の高さというものを理解していたし、北斎が背景としていた教養であるとか、文化レベルであるとか、そういうものを共有していたわけですよね。

だから北斎一人だけがポツンといたわけではないので、北斎のレベルの高さっていうのは江戸庶民の、江戸時代の市民文化のレベルの高さを表しているんだと思うんですよ。

ちょっと僕も歴史の勉強をし直してる最中で、帰省中は実家にいる時はイギリスの歴史をちょっとおさらいしていて、でそっからちょっと日本ももう1回振り返らなきゃいけないなと思ったんですけど。

近代の歴史ですよね、産業革命があるとあっという間に世の中が変わるとかね、フランス革命があるとあっという間に世の中変わるとか、そういうことじゃなくて歴史って言うのはあらためて勉強してみるとすごく複雑な要素が絡み合って、そして紆余曲折あるわけですよね。

だから葛飾北斎の時代っていうのは黒船が来航する直前の時代ですけど、もうその頃かなりのレベルの文化っていうか、もう近代ですよね。

本当に北斎の作品を見てるとこれはもう近代だと、少なくとも中世とは言わないし、近世というのもね、もっとこう本当に近代的な視点なんですよ。

現代とそんなに変わらないわけですよね。

それでいてレベルが全然高いわけですよね。

一つ私が改めて思ったのは、まだそうやって芸術の時代であったと、その当時江戸時代に芸術という言葉は日本にはなかったですけども、でもやっぱり絵画というもの、版画というもの、浮世絵というもの、北斎の肉筆画もありましたけども、それも素晴らしいものでしたけども、でもそういう芸術作品、美術作品そのものの、芸術という言葉はなかったですけど、芸術に相当するものの価値がものすごく高かった時代ですね。

だからその意味で言うと、「芸術の時代」だというふうに言えるんですけど、その意味で言うと、今は「芸術の時代ではない」んですね。

芸術の地位が社会的地位が下がったわけですよ。

なぜかって言うと、芸術の芸術的価値が下がったと同時に相対化されたんですね。

だから北斎の浮世絵って言うのは、北斎一人で作ったわけじゃないんですよね、あれは共同作業なんですよね。

だから絵師としての葛飾北斎がいて、そして版木を彫る彫り師がいるわけですよ、版画ですからね。

木を彫るわけですよ、そして刷り師がいるわけですよね。

で刷り師もボカシ技法とかなんとかってものすごい技術を使ってるわけですよね。

そういうまあ非常に緻密なものですけども、そういう緻密な版画の技術というのは今は失われてしまってるわけですよねーー復刻している人もいますけどもーー極限の細かさを見せつけてくれるわけですよ。

北斎の版画っていうのは、今回の北斎館の展示は絵本が主だったんだですね。

絵本って言うと、富嶽三十六景の大判サイズに対してすごく小っちゃいわけですよ。

だから今で言うと四六判の単行本ぐらいの大きさですかね、すごく小っちゃい中にかなり細密に版木が彫られていて、そういう技術って言うのは今は失われているなというふうにして思ったんですけど、実はそうじゃないんですね。

そういう日本人の緻密な器用さが、そういう技術が産業革命の受け皿になって、それが今も続いてるわけですよね。

そういう手先が器用で先進的な思想を持った日本人だから、西洋の技術とか思想とかそういうものを受け入れることができたと。

それがなかった中国や朝鮮は、それに反発して産業革命遅れてしまったという事情があるんですけど。

だから日本人の浮世絵に見られるような精密で繊細な技術というのは、今で言うところのカメラ技術とかね、集積回路なんて凄く精密にできていますけども、そういう技術的な細かいところまでは私はわかんないですけども、そういうの日本人ならではの日本人が産業革命に成功して、戦後は工業が躍進したというところは、浮世絵の技術というものをベースにしていると。

浮世絵だけじゃないですけどね、江戸時代の文化ですね、そういうものの延長上にあると。

だから逆に言うと江戸時代の日本には精密機械工業というのは無かったわけですよね。

だからそうすると今の時代に精密機械工業に振り分けるところのリソースが、人的資源が、様々な才能であるとかね、そういうものが全部絵画に芸術に版画にそういうところに投入されていたわけですよ。

だからこれは日本だけではなくてその昔というか十年以上前ですけど『中国の至宝展』というのを観に行って、つまり古代中国の殷とか夏とか、本当に歴史的記述の最初の文明ですよね、中国のね。

それは後の中国文明とはまた違う、とにかくものすごい美術品が出土されるわけですよ、中国でね。

それは見事なものですけど、その当時ってのは芸術というものが最先端という、かとにかく人間の手先の器用さとそれと頭脳力ですね、美的センスを含めた頭脳の力手先の器用さを見せつけるのは、今は工業製品というのがありますけども、それが無い時代は全て美術作品に集中してるわけですよね。

それが芸術の時代、美術の時代であって、で今は、近代っていうのは、実は美術の地位が相対化されて失墜する時代なんじゃないのかなと。

だからやはり最近の芸術は質が落ちたとか何とかっていう話はいろんなところでありますけども、それはそもそもがそういう時代なんだと。

芸術の価値そのものが相対化されて地位が失墜して、もはや芸術の時代ではないと。

でその中で私なんて呑気ですからね、何も考えないで芸術の価値は至上なんだってね、芸術には至上の価値があるってね、金に換えられない価値があるんだとかね、そういう馬鹿なことを言ってると、時代錯誤なこと言ってると、だからそれは無知の産物にすぎないんですよ。

だから私は最近はとにかく反省して、全分野に好奇心を働かせなきゃいけないと。

芸術家だからって芸術のばっかり知ってれば良いものではないわけですよね。

ろくに美術史だって知ってないのに、でもそうじゃなくてもっと人類史、歴史とか、あと経済学ですよね。

やっぱりいちばんの間違いの元は、自分自身がアーティストだっていうふうにしてアイデンティティを位置付けると、なにかアートとか芸術というものが至上の価値があるように錯覚してしまうと。

でその認識というのは間違いなんですよ。

近代っていうのはその意味で言うと芸術とかアートとか言うもの
が相対化される時代なんですね。

近代以前っていうのは絶対化されていたんだけど、絶対の価値があるんだと。

だから浮世絵の文化というものを極限まで発達してその極限に葛飾北斎がいたんじゃないのかなと。

ルネッサンスにおいてはレオナルドダヴィンチがいたと。

そうやって極限的に進化してその後に近代が訪れると、芸術が相対化されるという時代になったんだと。

それを
ちゃんと自覚しなきゃいけないなというお話でありました。芸術の時代と芸術ではない時代

権力としての哲学

そもそもですね、現代の我々というのは私もそうですけども、私に限らず左翼の毒に侵されているとね、そういう風に思う訳ですよ。

 

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ですからその左翼の毒抜きをしなきゃいけないと言う風にして思う訳ですよね。

でその意味で言うと、そもそも文明というものは権力があって立ち上がってくるものなわけですよね。

で権力というもの自体が文明と不可分なものなんですよ。

ところが左翼的思想に侵されていると、権力っていうのが何か悪いもののように思えてしまうということと、それと権力とは違うものを打ち立てようと、権力とは違う形の価値を打ち立てよう、という思考にどうしてもなってしまう訳ですよね。

でそうすると芸術というのは権力から遠く離れて純粋なものであると、そういうことになるんですけど、それはそもそもおかしなことなんですよ。

だから結局権力というものが文明を作って、そしてその文明の産物というものが自然状態にはない良いものなんですよね。

「良いもの」っていう言葉はニーチェが使っていましたけども、「良きもの」というのは「良きもの」としてそのままで評価しましょう、ということなんですけども。

だから芸術にしろそれと哲学もそうですけども、文明の産物としての良いものですね、高度な素晴らしいものというのは権力と不可分に結び付いていると、権力の産物であると言うことなんですよ。

だから元々芸術が権力と根源的に不可分に結び付いていたというのは、だから権力者というのは自分がどれだけ他の人と違って偉いのか、というのを示すために芸術を利用した、芸術と結びついた訳ですよね。

だから古代メソポタミアの時代から権力者は立派な宮殿を作って、宮殿なり寺院なりそういうものを作ってですね、建築や彫刻や絵画で飾り立てるわけですよね。

でそういうことで権力を誇示するわけですよ。

芸術と権力が結びついてこれは良いものなんだと、権力とは良いものなんだと、ハンムラビ王は偉大なんだと。

そういうことで日本で言うと、日本という統一国家ができ始めた頃に聖徳太子がおりまして、でその聖徳太子を称える絵画であるとか彫刻肖像彫刻ですね、そういうものが盛んに作られるようになったと。

だからその意味で権力と芸術というのは根源的に結びついているんだけど、それは芸術だけではなくて文明の産物の全ての良きものですね、自然にはないーー自然には自然の良さがありますけどーー文明っていうのは自然とは全く別の価値の高いものを生み出すもことが文明たる所以で、文明的な良きものですね、そういうものっていうのは文明の産物なんだと、だから哲学も文明の産物文明の産物じゃなくて権力の産物なんですよ。

だから古代ギリシャソクラテスというのは権力者ではなくて、ギリシャアテナイの市民でしたけど、都市国家の市民でしたけども、市民というのはその当時は特権階級で権力者だったわけですよ。

古代アテナイの市民というのは一家の長男しかなれなかった、男子の長男しかなれなかったと。

でその他の兄弟や他の家族というのは召使いみたいな扱いだったわけですよ。

でその下にさらに奴隷がいたわけですよね。

でその上に特権階級としての市民が働かないで哲学談義を日々していたと。

でそういう権力の産物として哲学が形成されていったと。

そしてさらにソクラテスが自分の哲学を全うするために死刑になったというのは、その裏には実は世俗的な権力とは違う哲学的な権力を打ち立てようとソクラテスはしたんですよ。

哲学的な権力というのは、それは世俗の権力が侵すことができない権力なんだと。

だから世俗の権力にソクラテスは屈しない為に死刑を受け入れたわけですよね。

で同じことが実は古代インドのブッダにも言えるわけですよ。

だから古代インドのブッダは王子様だったんですね。

権力者の息子だったんですね。

でその権力者の息子という地位を捨てて出家して、そして世俗の権力に関わらない境地に達した訳ですよね。

悟りの境地に達したんだけども、その悟りの境地って何かっていうのは結局は世俗の権力にとらわれない権力を打ち立てたんですよね。

だからすべての権力を捨ててブッダは出家して、権力とは無関係の宗教的境地、哲学的境地に赴いたというふうにして解釈されますけど、実はそうじゃないんですね。

結局哲学というのは権力なんですよ。

それは世俗の権力が及ばない範囲の権力なんですよ。

だから価値がある訳ですよ。

そういうわけで私自身もなぜ哲学に惹かれるのかと、、最初は芸術家のつもりで自分の表現を突き詰めようと思って、で色々勉強していくうちにだんだん哲学の方に結局はのめり込んでいくんですけども、でも自分自身が芸術にのめり込み、そして哲学にのめり込んだというのは、結局のところそれが一つの権力だったからなんですよね。

だから芸術の権力、哲学の権力を奪取しようと思って私は必死になるというかね、夢中になってしまった訳ですよ。

だからと言って芸術の世界はまあともかく、哲学の世界で私が権力を握れるかって言うとね、そういうことはまた別なんですよね。

だからそこで言うと権力とは何かっていうこと自体が難しい問題になるんですけども、やっぱり人に認められようが認められまいが、自分は自分でできる限りの探求をして突き詰めるんだ、ということ自体が結局は自分自身の権力の追求なんですよ。

それはだから「人に認められようが認められまいが」って言うその「人に認められる認められない」っていうのはそれは地上の権力のことなんですよ。

で地上の権力以外にも権力があるということなんですよ。

でもそれは権力に違いがない訳ですよね。

だから結局は哲学を学ぶ、アートを学ぶっていうことになると、ちょっと二つ一緒にするとややこしくなるんで哲学の話をすると、哲学を学ぶっていうことは哲学の歴史を学ぶということですよね。

でそこに少しでも自分が参加できる余地ある訳ですよ。

ですから結局は僕自身はソクラテスとは違う時代に生きてるんですよね。

違う時代に生きているということだけで、哲学的に自分だけに私だけにできることっていうのがある訳ですよね。

でそこのめり込んでいくというね。

でそれっていうのは結局は自分が学んだの中での哲学の歴史に、自分自身が参加していくとうことの権力に、私自身が組み込まれていくと。

でそんな中で私も自分のできる範囲での権力を振るうと言うかね、そういうところに到達しようとするわけなんですけども。

だから結局はそれは芸術の芸術についてもそうな訳ですよね。

だから誰に認められなくても自分の芸術を追求するんだと。

最近、篁牛人(たかむらぎゅうじん)という墨絵の画家がいましてで、それの展覧会を見に行ったんですけども、篁牛人というのはもちろん私は全然知らなかったし、一緒に行った彦坂尚喜先生も知らなかったと、私のアートの師匠ですけども、知らないことはないぐらい博学の彦坂尚喜先生も篁牛人は知らなかったんですけども、篁牛人自体が大変に優れた画家で彦坂先生が絶賛したんで私も一緒に見に行ったんですけど、私が見てもねこれは凄い画家だと言う風に思う訳なんですよね。

で篁牛人っていうのは全く評価されずに、生前もほとんど評価されずに、戦後全く、戦後って言うか昭和の人ですけどね、戦後に作品展開した人ですけど、とにかく全然存在が知られなくて、今になってNHK日曜美術館で紹介されたらしいんですけども。

でも篁牛人はやっぱり自分の芸術を追求した訳ですよね。

誰に認められなくとも、自分の権力としての芸術を追求したんだと、そういうに言えると思うんですよね。

だからやっぱり世俗の権力に支配されないと、そうするとやっぱり自分が信じる権力に向かっていくと、そういうことになる訳ですよね。

だからそうやってあらゆる文明というのは、文明の産物というのは、基本的には権力と結び付いているわけで、権力の否定とかね、そういう左翼思想っていうのも、今ちょっとそれについてはまたさらに勉強中で、別に話そうと思うんですけども、とにかく価値観がひっくり返って錯誤してるんですよね。

ですからそういう間違いを、間違った教えを吹き込まれていたんだということを自覚して、もう一回勉強し直さなきゃいけないと、そういうお話でありました。

相争う哲学的見解を超えて怒りを鎮める方法

*こちらの動画の文字起こしです。

糸崎公朗です。

今回もこの『ブッダのことば』なんですけども、これを私は再びちょっとずつ、かみしめながら、よく考えながら、吟味しながら、読んでいこうとしてるわけなんです。

 

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

 

 

それで前回『ブッダの言葉』を紹介した時にこの「怒り」の問題ですね、第一章の、とにかく一番最初に怒りの問題がこの本に出てくるんですよ。

で、翻訳者の中村元さんですが、ただ翻訳したわけじゃなくて、ものすごく詳細に研究して、そして翻訳したというものですけども、その中村元さんによる後ろの解説によると、最初の「蛇の章」が一番古いわけではないんですけども、とにかくこの経典の一番最初に「怒り」というものの鎮め方が書いてあって、それが非常に人間にとって難しい問題でありまして。

で、この前の動画では自分はこれ読んでよく解釈して、怒りの鎮め方をマスターしたみたいなことを言いましたけども、実際にはそう上手くいかないんですね。

で、そのあと色々と 考える事があったんです。

それでは、前回紹介した第一章の、最初の言葉を読んでみます。

「蛇の毒が体の隅々に広がるの薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。蛇が脱皮して、古い皮を捨て去るようなものである。」

ということなんですけども、だから「この世とかの世とをともに捨て去る」というのは、結局は自分を捨てると、そして公共のために生きるんだ、というふうにして私は解釈したわけなんですよ。

怒るのは自分ですからね、自分の怒り、自分の、たかが自分個人の怒りなんですよ。

そんなものはちっぽけなんですよ。

それより人間っていうのはもっと大きな「公共」のために生きなきゃいけないと。

ちっぽけな自分の怒りにこだわっても仕方がない、という風にして思ったんですけども、それだけだとまだまだ足りなくてですね、で、今日読もうと思ったのは、この「蛇の章」の中の3番目の「犀の角」という章がありまして、その中の、この55番目の詩なんですけども、ちょっと読んでみますね。

「相争う哲学的見解を超え、悟りに至る決定に達し道を得ている人は「我は知恵が生じたもはや他の人に指導される必要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め。」

 

 

これも普通に読むと難しい詩なんですね。

「相争う哲学的見解を超えて」いうのはいいんですけども、「自分には智慧が生じたのでもはや他の人に指導される要がない」と。

これはね、もうなんか天狗になってんじゃないかって。そんな簡単に真理に到達することなんかあるの?ってね、言うわけですよ。

そもそも自分を真理に到達して、誰にももう教わることがない、なんてほざいてるから、喧嘩になるんじゃないかと。

「お前の真理は間違ってる」とかさ、「俺が正しい」とかさ、そういう風になるんじゃないかという風に、思っちゃうわけなんですよ。

これは以前ニーチェのことを話した時にも、そういう風に述べたんですけども、私はね。結局ね、哲学的見解ですよ。

例えば「ニーチェがわかった」とかね、「フッサールがわかった」とかね、この「わかった」って何かっていうとね、結局はフッサールの言っていることそのままわかったりとかはできないんですよ。

ニーチェの言ってることをそのままわかったりもできない。

なぜかっていうと、ニーチェにはニーチェの人生があって、ニーチェ生きた時代背景があって、社会的背景があって、それは今の、この我々が生きているこの日本とは、状況が全然違うわけですね。

で、その同じ日本人の中でも「糸崎公朗」というね、この私です。

私には私の固有の人生があって、他の人と同じ日本人だからね、共通している部分 もありますけども、全然違っている部分がありますし、そもそもその読んできた本とかね、私固有の経験もあるわけですよ。

「写真家やってます。」とか「フォトモみたいな変な手法の表現で作品をつくってます。」とかね、そういうのも含めてなんですよね。「子供の頃から虫が好きで、虫の写真撮ってます。」とか、そういうのも含め てなんですよ。

だからけっきょく「ニーチェがわかる」「フッサールわかる」っていうのも、その人の固有の分かり方をするしかないんですね。だから僕は僕で、長年ニーチェになかなか手がつかなくて、なかなか読めないっていう思いがあったんですけども。

去年かな?今年かな?とにかくニーチェを読み始めたら、まあ「わかる」っていう感じはしたんですけど、それも「自分なりにわかる」ということに。

一応このチャンネルの動画では「どうわかったのか」ということの説明しましたけども、しかしそれは「これがニーチェの正解だ」という風にしては思わないし、私固有の理解の仕方でしかないんですよ。

だからそれは、究極的に言えば、誰にわかってもらう必要もないし、変に誤解されて「お前の考えは間違ってる」って議論を吹っかけられても困るって、いう問題があるんですよ。

だからまあ、批判していただくのは結構なんですけども、批判してもらっても困る領域、っていうのはやっぱり哲学にはあると思うんですよね。

でそれが一つは「固有性」という問題なんですね。

だからさっきの怒りの問題で言うと、公共性の話をしましたけども、つまり「私」に対して「公共」ということですけども、哲学においては、共通の公共的な共通見解、ま、公共と共通見解はまた違いますけどね、これは「ニーチェの解釈の正解だ」っていうのはね、全然そういう要素がないと言えないですけども哲学の入門書的に、公式見解的に「ニーチェはこういう風に言ってました。」っていう風にしていうのもね、だいぶ違うなという風にして思うんですね。

それよりもやっぱりこの時代、この前ラカンの解釈の問題を、私言いましたけれども、ラカンが講義をしたのは1950年代とか1960年代、昭和でいうと昭和30年代、昭和40年代ですよ。

そうすると小津安二郎とか、『三丁目の夕日』とか、そういう映画でいうと、昔の世界ですね、その昔の世界の人の言ったことを、今の我々の、今の時代、この私が生きている今の時代に当てはめると、また新しい解釈が生まれてくると。

それが生きた思想であり、生きた哲学なんじゃないかな、というふうにして思うわけですね。

だから「生きる」っていうのはやっぱり「個人が生きる」わけですから、固有性というのが、重要になるんですね。

でそうすると一つ、怒りの問題で言うと、この『ブッダのことば』の別の箇所にも書いてありますけども、人が怒るっていうのは、一つは「自分のことを分かってもらえない」とかね、「自分の話し聞いてくれない」とかね、そういうことで怒りが生じることがあるんですけれども、まぁねぇ、そんなの関係ないんですね。

そもそも自分の哲学的見解を「誰かわかってもらおう」とかね、思わなくていいんですね。

「誰かに聞いてもらおう」とも思わなくていいんですね。

だからこの youtube は僕にとってはすごく相性がよくて、勝手にしゃべって勝手にアップロードして、勝手に聞いてくれればいい、という風に思うわけなんですよ。

それはソクラテスの昔からそうでありまして、ソクラテスは『ソクラテスの弁明』ってね、大広場でみんなに自分の弁明をして、話を聴衆に聴かせるんですけども、誰もソクラテスの話なんて聴いちゃいなくてね、もうとにかく「死刑にしろ」ってね、死刑にしちゃってるわけですよね。

だからその意味で言うと、同じなんですよ。

ソクラテスの固有性というのも、当時のギリシャ人、同時代のギリシャ人には理解できないわけですね。

それはキリストも同じですけどね。

だからまあ、「ぶっ殺しちゃえ!」って話になるんですけど、だからそれは「ぶっ殺しちゃえ」って言う裏には、誰も話なんか聴いてないっていうね、「あいつはインチキだ!」ってんで、もう決めつけてるわけですね。

究極的に、誰にも理解されなくて、自分が死刑になろうがなんだろうが「怒らない」と。

「自分を死刑にしやがってけしからん!」ってね、そういうことは、ソクラテスもキリストも言ってないわけですよね。

ですからこの怒りの問題と関連して言うと、ブッダのこの「犀の角のようにただ独り歩め」というのは、繰り返し、繰り返される詩なんですね。

この『犀の角』っていう章がありまして、いろんな詩が並んでますけども、最後に「犀の角のようにただ独り歩め」と。

だから今日読んだところで言うと、「相争う哲学的見解を超える」と、そして「悟りに至る決定に達して道を得ている人は、「我は智慧ーが生じた。 もはや他の人に指導 される要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め」 と。

それは自分だけが本当の真理に到達したというよりも、「自分固有の理解の仕方」を手に入れるっていうのがね、一つ、哲学的な段階じゃないかと。

まぁ私が言うのもなんですけどね、 そんな哲学専門家でもないし、キャリアも浅いですけども、自分の中ではね、その一つ段階に移行たしたな、っていう思いはあったんですね。

だからある程度いろんな本を読んできて、まぁ、たかが知れてますけどね、自分の範囲ですけどね、でまぁ、いろんな経験をするなかで、自分固有の哲学の仕方を理解することができたと、それがある程度高揺るぎないものだ、という実感があるわけですね。

だから、誰かの入門書の言葉を鵜呑みにするんじゃなくて、自分なりの解釈ができるようになったと。

で、それは人にとやかく言われる筋合いはないわけです。

で、もしかしたら間違っているかもしれないですよ。

だから間違ってる時は、いやもう「間違ってました!」という風にして、全面的に言いますけど、しかしそれは、人から言われるとかじゃなくて、この自分に納得して「間違ってる。」とね、それも自分の固有の問題として「間違っている。」と認めるという。

具体的に言うと、私は「非人称芸術」というコンセプトを掲げてフォトモとか作品作ってましたけども、作品ともかく「非人称芸術」というコンセプトは「間違っている」と、いう風して最近は認めているわけなんですけども、その認めるにもいろいろ理由があるんですけど、
これは自分の私の固有問題でね。

それは私の生き方だけではなくて、日本の状況取り巻く全体ですね、時代背景ですね。

一つは共産主義運動ですけども、そういうところに自分なんか全然…私は40年生まれ、
1965年生まれですから、全共闘、終わっちゃった時代で、そういうのぜんぜん意識しないで生きてきましたけれども、実はかなりに深く影響を、知らない間に受けてるわけですね。そういう自己分析を通して、「自分の考えは間違った。」という風にして、やっとのこで到達することができたわけです。

そういうまあ固有性の問題なんで、「他人にとやかく言われる筋合いはない。」と。

だからこれも相反する要素なんですけども、「他人にとやかく言われる筋合いじゃない。」レベルと、「他人の意見は受け入れますよ。」と、そういうものの併存が必要なんですけども、ただね、やっぱり自分もとにかく「他人にとやかく言われたくない。」という領域を持つっていうのが大切なんですね。

これ難しい問題なんですけどね。

だいたい、たいていの人はね、他人にとやかく言われたくなくて、もう意固地になって自分の中に凝り固まったり、 他人の意見なんか聞きたくないんですよ。

それは困る。

今回話しているのは、なかなか人に伝えるのは難しいかもしれないですけど、それとは全然違う、違う問題なんですね。

それが畢竟、怒りを鎮める問題になると。

いつも落ち着いて、心は平安で、他人の意見に動かされないと。

他人の意見に動かされない。心が動かされなければ、他人の意見も 聞き入れることができるだろう。

と、そういうお話でありました。

 

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顕教と密教

以下、空海の『三教指帰(さんごうしいき)を読んで連続tweetしたまとめです。

空海「三教指帰」―ビギナーズ日本の思想 (角川ソフィア文庫)

空海「三教指帰」―ビギナーズ日本の思想 (角川ソフィア文庫)

 

密教顕教、「密教」と言う概念は「大乗」仏教だからこそ生じ得た概念で、大乗仏教は「誰にでも教えられる教え」と言う前提があるから、だからこそ「誰にでも教えられるわけではない教え」の存在が対比として顕在化する。

 

仏教に限らず、一般的に人間は物を覚えることができる存在であり、従って人には物を教えることができる。それと同時に多くの人には教えられないけど、ごく一部の人間だけに教えられる事柄がある。それは端的に言えば人間の能力には「共通性」があると同時に「差異」も存在すると言う「事実」による。

 

哲学とは本質的に密教なのだが、大乗仏教が哲学を顕教化した。顕教とは「誰にでも理解可能な教え」でだから教えが誰にとっても顕在化している。

 

一方で密教とは、ことさら人々の目から隠蔽されていなくとも、一般に「難解な哲学は読めない」と言われているように、実際に多くの人からその内容は閉ざされている。

 

密教とか、秘密教義とか、秘奥教義などと言うと何か神秘的なイメージを持たれるかもしれないが、それはあくまで「顕教側のイメージ」であって、当の密教を実践している側としてはそんなつもりは微塵もない。

 

密教はつまるところ「自明性」を疑う知的営みに他ならない。しかし多くの人は「自明性」を疑うことを最も嫌うのである。これは非常なストレスを伴う行為で、このストレスに抗して知的行為を行うことを「密教」、ストレスを回避しながら知的行為を行うことを「顕教」という。

 

人は自分が嫌だと思うことに対し目を背け認識しない。そのことによって密教は必然的に多くの人から隠されることになり、実質的に「密教」となる。

 

実は、現在の日本では大学の哲学科を出ていなければ一般に哲学者と認められないし、さらに言えば大学で哲学科の教授をやっていなければ哲学者とは認められないが、このように経歴や立場と哲学とを紐づけるこの認識こそが「顕教」なのである。

 

純粋に密教的な認識をすれば、その人の学歴がなんで職業がなんであるかは関係なく、ただその人の「教え」を聞けば、その人が「何者」であるかが認識できるのである。

 

しかし「多くの人」にとって、その人が何者なのか?その内容のレベルが上がるほどに認識不可能になる。そこで「顕在化」した属性であるところの出身校や職業が認識の材料となる。

 

それは「教える」側の人間もそうで、自分が有名大学の哲学科を卒業し、大学の哲学科教授になるという、その「顕在的な認識材料」によって、自分を哲学者であるというふうに認識する。

 

しかし本来の、最初に大乗仏教を唱え始めた人たちは「顕教」と「密教」とを使い分けていたはずで、だからこの概念が言葉としても生じたと考えられる。

 

この「密教」と「顕教」の使い分けは、少なくとも日本の哲学界ではもうされていないように思えるが、しかし工業製品においては開発サイドが密教であり、ユーザーサイドが顕教であるという具合に、この二者の区別はさまざまな分野に存在するように思われる。

 

ただしこの「密教」と「顕教」の区別がなくなり、もっぱら「顕教」だけとなった分野は「終わっている」と言える。その意味で日本の哲学も現代アートも「終わっている」。この二つの分野において顕在化した目に見える徴(しるし)以外の何ものをも人々は認めようとしない。

 

密教顕教のフィルターを通して顕在化するとこのような「イメージ」として現れるが、この構造はオウム真理教と全く同じである。
https://www.cmoa.jp/bib/speedreader/speed.html?

www.cmoa.jp

 

本当の意味での密教僧がいくら真面目に授業したところで、金銭や名声はじめとする世俗的な成功を手に入れることが出来ない。

 

本来、顕教の思想の根底には金儲けではなく救済の思想があった。つまり密教僧を理解せず認識せず差別し排除する側の人々を「救済」する思想、これが密教僧が顕教を使用する本来的な動機となる。

 

密教僧は自ら学んで修行するが、文字通り人々に教えることは「何もない」。だから密教僧がその他の人々と関係をとり結ぶとしたらそれは「救済」しかあり得ない。だが一体、密教僧は自らを理解せず認識せず差別し排除する人々を一体何から救済しようというのか?…

 

いや確かに、多くの人が現世で苦しんでいるのであり救済を求めている。そして密教僧も同じく苦しみ、だからこそ自己救済のために授業する。しかし密教僧がそのように体得した「教え」のことごとくを人々は断固として拒絶する。そこで密教僧は自らの教えを「顕教」として変換する。

 

実に万人は「救い」を求めているのではないか?つまり密教僧の修行もつまるところは自己救済に違いなく、しかしその「救い」は多くの人々が求めている救いとは異なっているために「密教」なのである。

*下記、同日に撮影した関連動画です。Twitterで書いたのと同じ内容をしゃべろうとしたのですが、それができずに違う内容になってしまったので(笑)、ぜひご覧頂ければと思います。


顕教と密教/大乗と小乗①




密教と顕教/大乗と小乗②


顕教と密教/大乗と小乗③

ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』読みながらtweet

誰のアドバイスも信用できない。なぜなら誰の判断にもバイアスがかかって間違っているからである。では自分の判断はどうか?と言えばこれもバイアスがかかって間違ってる。ではバイアスを取り除いた判断はどのようにすれば良いのか?判断、つまり未来の予測ができると判断することがバイアスなのだ。

判断とはつまるところ未来予測であり、だから自信を持って判断を下すことは間違っているし馬鹿げている。

あらゆる判断は「賭け」であり、その意味で人は常にさまざまなギャンブルを行い、こまめに勝ちを重ねてなんとか生き抜いている。

あるいは人間のやることなすことは全て「実験」なのである。すでに繰り返し行って結果が目に見えている事柄についても常に検証のための実験を繰り返す。

他人のアドバイスとは、「新たな実験の提案」なのであり、その実験がどのような結果をもたらすのか誰もわからないし、その実験を実行するか否かは失敗のリスクを背負った自分自身が決断しなくてはならない。

 

 

統計(とうけい、statistic)は、現象を調査することによって数量で把握すること、または、調査によって得られた数量データ(統計量)のことである。統計の性質を調べる学問は統計学である。

ja.wikipedia.org

 

 

ヒューリスティックとは、必ず正しい答えを導けるわけではないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることができる方法である。ヒューリスティックスでは、答えの精度が保証されない代わりに、回答に至るまでの時間が少ないという特徴がある。

ja.wikipedia.org

 

 

人々は誰でもそれぞれに「判断材料」と言うものを持っている。人はこの「判断材料」によって日々の、そして時々のギャンブルに勝利する確率が上がるのだと信じている。

ところが多くの場合、この「判断材料」がかえって勝利の確率を低下させる要因となっている。具体的には例えば多くの人は「負け」が込んで貧乏な状態にある。このような「判断材料」に間違いをもたらす要因が「偏見」、すなわち「現実離れした統計の偏り」である。

多くの人は事物を漠然とした統計のイメージとして捉えている。それは漠然としたイメージだからこそ判断材料として利用しやすい一方で、それは所詮「イメージ」なだけに現実との一致がなんら保証されない。

「統計のイメージ」は利用可能な手近な判断材料によって形成される。そして「利用可能」で「手近」であることが、統計の確からしさを保証する、と多くの人が錯誤している。

なぜなら、手近な判断材料とはそれ自体が「直接知覚」であり、人は自分が直接見聞きしたものにリアリティを感じるからである。すなわち現実そのものの認識ではなく、あたかも現実であるかのようなイメージを受け取り、それを現実と錯誤する。

現実と錯誤させるものがイメージである。イメージを、現実とは異なるイメージとしてイメージする場合、そのイメージは現実に根差している。つまり現実に根差していないイメージが「現実」と混同される。

「現実」と「イメージ」が二重化して捉えられなければイメージを「イメージ」として捉えることはできない。世界を一重化して捉える人にとって現実とイメージの区別はない。

人は「類似性」に惑わされて判断を誤る。

「時間」の感覚が異なる二種の人間が存在する。短期的な視野と普遍的な視野と…この両者を調停することはできない。

けっきょく人は、大きな賭けに出る人と、賭けにならないような小さな賭けしかしない人とに分かれる。小さな賭けとは安全な賭け、無難な賭け、負ける確率が少ないとされる賭け、勝っても儲けが少なく、負けても失うものが少ないと思われる賭け…

いわゆるギャンブルとは「ギャンブルの外在化」あるいは「ギャンブルの二重化」である。そもそも人間にとって生きることそのものがギャンブルなのである。その生きることのギャンブル性が小規模に模型化することで対象化され、外在化され二重化されたものがいわゆるギャンブルなのである。

貨幣経済社会において、金を得ることが生きることに直結している。だからあらゆる意味において金を得ること自体がギャンブルなのだ。例えば会社員として安定した職についていたとしても、いつ会社が傾くかもしれず、いつ自分を辞める事になるかも知れず、究極的にはギャンブルなのである。

他人より多く金を儲けるには?他人より楽して儲けるには?自分の好きなことして儲けるには?このようなことが可能になるためには自らが「金儲けの専門家」にならなければならない。どの分野でも専門家は経験を積むことで「勘」を養い、素人には不可能な高度に総合的で確実性の高い判断を可能としている

「金儲けの素人」を雇って養うのが会社の役目。

積極的、主体的に経験を積み重ね、失敗を何度も経験しなければ「専門家」にはなれない。そのようにして専門家は素人が感知できないような「些細な兆候」を読み取る勘を養い、その能力によって「専門家」として生きて行くことが出来る。

しかしこれはあくまで概念的な理想であって、現実的には「専門家」と自称する大半の人が自分の能力を過信して、盲目的に間違いを繰り返している。

だから究極的には自分自身が自分の専門家になるしかないのだが、多くの人が自分自身の専門家ではなく、だから誰か他の「専門家」に自分自身を任せているのだが、しょせん他人の専門家に自分のことが分かろうはずもなく、間違った判断をされた挙句それに満足されられている。

困難に対し何の勘も働かず、どうして良いのか分からずに立ち往生しているなら、その人には才能が無いのではなく、経験の蓄積が無いのである。

「好き・嫌い」の感情によって人間の判断は大きく左右される。にも関わらず、多くの人がこの、「好き・嫌い」の感情が何であるのか?について非常に無頓着である。つまり「好き・嫌い」の感情そのものが、それについての認識を阻害しているのである。

休息と暇つぶし(ニーチェ『ツァラトゥストラ』読みながらTweet)

哲学とは先ずなりより学ぶものであるが、自分なりに学ばなければそれは哲学にならない。つまり学校の勉強のように哲学について「皆と同じこと」を学ぶのを哲学とは言わない。

哲学の本質の一つは「変容」であり、例えばニーチェの哲学にしてもニーチェの意図通りに理解される事はあり得ず、必ず読む人によって変容してしまう。その場合、変容するのは読んだその人自身であって、その人自身が哲学によって変容しなければ哲学とは言えない。

哲学にとって重要なのは「それを語るのは何者なのか?」であり、哲学的でない人間がいくら哲学を語ってもそれは哲学にはならない。「哲学的でない人間」とは何かと言えば、新約聖書で示されたパリサイ人のような人を指す。パリサイ人はいかなる時代にも、いかなる分野にも現れ人々を惑わす。

パリサイ人は宗教者の偽物であり、芸術家の偽物であり、哲学者の偽物であり、その他「基準のハッキリしない」あらゆる分野に存在する。基準のハッキリしない分野にあって「ハッキリした基準」を示してその分野に居座るのがパリサイ人の特徴であり、だから多くの人が騙される。

科学の分野においてパリサイ人が存在するのは難しい。なぜなら科学は「真偽の基準がハッキリした分野」だから。しかし考えてみれば科学にも真偽のハッキリしない領域があり、そこにパリサイ人につけ入れられる余地がある。原発や精神医療など、他にもあるかもしれない…

人々の共感をぶっちぎるところに哲学の喜びがある。人々の共感をぶっちぎって上昇するところに哲学の快感がある。だからこそ芸術は哲学を幹とするその枝葉と言えるのである。

共感が生み出すものは再生産であり、それは退屈極まりなく堪え難い。結局のところ「哲学」の対義語の一つは「退屈」であり、だから「芸術」の対義語もまた「退屈」なのである。

結局のところ、哲学も芸術も「暇つぶし」に過ぎない。人間の本質とは、生まれながら何をして良いのかわからず、暇で暇で仕方がなく、どうにかしてこの暇を潰そうとする。この暇つぶしに最高の頭脳を使おうとするのが哲学であり芸術なのである。

例えば単に腹を満たすためだけでなく、美味しいものを食べればそれが「暇つぶし」になる。だから毎食同じものを食べると腹は膨れるが「退屈」になって耐えられなくなる。食べることが「暇つぶし」であるなら毎食の「変化」が重要な要素となる。

食べ物に関してはもう一つ、より美味しいものの味を知ってしまうと、不味いものが退屈に感じられるようになる。不味いものの正体は「退屈」であり、美味しいものの正体は「暇つぶしのネタ」である。優れた料理人は客に優れた「暇つぶしのネタ」を提供する。そうでない料理人は「退屈」を客に食わせる。

「暇つぶし」には実に結構なエネルギーが使われる。哲学をするにも、芸術をするにも、精神的にも肉体的にも結構なエネルギーが必要で、それをすると消耗し疲労する。だから人間にとって必要なのは「暇つぶし」と「休息」なのである。

人は「暇つぶし」をするとエネルギーを消耗して疲労し「休息」を必要とする。しかし休息するとだんだんに「退屈」になり、再び「暇つぶし」がしたくなる。そのサイクルで人間は動いている。

人間は本質的に暇を持て余した存在であり「暇つぶし」を必要とする。しかし「暇つぶし」はエネルギーを消耗し、だから「休息」が必要となる。そしてここが重要なのだが、人々の多くがエネルギーを消耗するような「暇つぶし」を望んでいないのである。

実に多くの人がエネルギーを消耗するような「暇つぶし」を望んではおらず、ただひたすら「休息」のみを求めている。多くの人が実に人生に退屈などしておらず、ひたすら「休息」を求めている。人々が求めているのは休息としての哲学、休息としての芸術、休息としての宗教、休息としての食べ物…である。

「休息」を望んでいる人に「暇つぶし」を与えても意味がない。例えば疲れて休んでいる人に対し「卓球やろうぜ!」と誘っても意味がない。

疲れて休んでいる人は、当然のことながらアクションを望まない。そして哲学することも、芸術することも「アクション」なのである。ところが哲学や芸術にとって「再生産」が退屈であるように、「再生産」とは「アクションではない」のである。だから「休息」を求める人が望むのは「再生産」なのである。

人々に「暇つぶしのネタ」を与えようとするのは間違いであり、多くの人はそのようなものを望んではいない。多くの人は退屈を感じる以前に疲れているのであり、暇つぶしよりも「休息」を何よりも求めている。人々は暇つぶしには一円も支払わす、休息のためにはいくらでも金を出す。

 

芸術と芸術の出来損ない

言語と現実は結びついている。と言った場合、二つの立場が考えられる。一つは「まず言語が先にあって、それによって現実が立ち現れる」とする立場。もう一つは、「まず現実があって、そこに言語を当てはめている」とする立場である。

そして私の「非人称芸術」は、前者の立場を取っていたのだった。それは「名付けによる創造」というコンセプトであったのだ。そしてこの「名付けによる創造」は真の意味で創造であり得るのか?という疑問が、後になって生じたのである。

「名付けによる創造」とは、そもそもが共産主義の方法論ではなかったか?つまり共産主義が成立しないという「現実」を目の当たりにしながら、非人称芸術が成立すると言えるのか?「名付けによる創造」とは、結局は「想像界」の産物であり、「信仰領域」の出来事に過ぎないのではないか?

「非人称芸術」とは錬金術で、手で触れたものが何でも金になる如く、目にしたものに「非人称芸術」の言語を当てはめるだけで、原理的に何もかもが非人称芸術に成り得るのである。そういう原理は成り立つのか?

現象学的に考えてみると、主観的な現象としては確かに存在したのである。これは自分のかつての実感としては、確実にあった。しかし「現象一般」として考えると、「現象」とは決してそういうものなのだろうか?

一般に、「自分だけがそう思ってるもの」あるいは「自分だけにそう見えるもの」は「錯覚」と言われるのである。だからその意味で「非人称芸術」とは「錯覚を生み出す技術」だと言えるのだが、現象としての錯覚にいかなる価値があるのか?

それでは錯覚と、錯覚ではない知覚との違いは何か?結局はフッサール先生が述べるように「現実への的中性」が問題となり、つまり「現実」というものが問題となる。すると「非人称芸術」とはいかなる「現実」なのか?

 

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ところで人間の意識は無意義に接続されている。だから私の非人称芸術は、無意識としての共産主義思想の影響を受けていると同時に、「フォトモ」の方も無自覚的に「別の無意識」の影響を受けている、と考えることができる。

これは私のフォトモと、もう一人フォトモを作っているマスダユタカ氏のフォトモを見比べるとよく分かる。私のフォトモは実に「正統美術」の影響を無意識的に受けているのに対して、マスダユタカ氏のフォトモにはそれが無い。

私のフォトモには確かに「正統美術」としての要素が十全だとは言えないが、しかし明瞭な「遠近法」と「節約律」が備わっているのである。私の「フォトモ」はだから、二つのイデオロギーの融合なのである。それは共産主義イデオロギーと、正統美術のイデオロギーである。

そして、「フォトモ」から共産主義イデオロギーを除外して見たとしても、そこに含まれる正統美術のイデオロギーだけで作品は十分に成立していると判断できる。これは何を意味するか?

つまり作品が成立する条件は、モチーフではなく、つまり意味内容としてのシニフィエではなく、物質としての記号表現であるところのシニフィエなのである!!!

ここで問題となるのが、自然こそが芸術だ、というイデオロギーである。かつての私は「自然こそが芸術だ」というイデオロギーの信奉者であり、その基盤の上に「非人称芸術」のコンセプトもあったのである。

しかしこれは一つのパラドックスを含んでいる。「自然こそが芸術だ」という価値観は、実はこの世に「芸術」と言うものが成立して、その後に成立したのである。そしてその「自然こそが芸術だ」と言う価値観は、真の意味での「価値」として成立していると言えるのか?

現象としての「フォトモ」の成立から考えると、実に自然をはじめとする「現実そのもの」は芸術ではあり得ず、「現実そのもの」を「芸術のフォーマット」に置き換えてこそそれは「芸術」となるのである。なぜならば芸術はそう言うものだと言う観察結果が、現実の観察から得られるからである。

あらゆる人工物が芸術なのではなく、人工物には芸術と芸術以外とが含まれている。だからこのような現実を「大半の人工物は芸術の出来損ないに過ぎない」と表現することができる。

そして「非人称芸術」とは実に、このような「芸術の出来損ない」を「芸術」だと誤解したイデオロギーに過ぎなかったのである。少なくとも戦後日本の現代美術においては、「芸術の出来損ない」を「前衛芸術」と誤解するイデオロギーが蔓延しており、「非人称芸術」その延長のある意味での最終地点だったのである。

だから自分で擁護するような言い方をすれば、私は最終地点まで行って、そこで行き詰まって折り返した。さらに言えば私だけが最終地点に行ったのであり、その他の人々はその手前で永遠に足踏みしている。

私はもう迷い無く「名付けによる創造」を否定しすべきなのである。これがなかなか出来ないでいたのは、「名付けによる創造」そのものが私自身の「発見」であったからである。

ショーペンハウアー先生の「教え」を延長して考えれば、人は「自分の発見」に縛られるのである。そして私はまさに「自分の発見」に縛られ続けており、だから「名付けによる創造」をはっきりと否定することが出来ないでいたのであった。