アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

芸術の時代と、芸術ではない時代


芸術の時代と芸術ではない時代


昨日ね、長野の小布施町北斎館、葛飾北斎の美術館ですね、実家に帰省するたびにそこ観に行くんですけども、素晴らしい北斎の作品が展示してありまして、それでとにかく全然見たことない作品が並んでましたね。

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北斎館は帰省するたびに行くんですけども、そのたびに展示替えがあって、って言うか企画展があって、学芸員さんがずいぶんがんばってね。

昨日は北斎と視覚効果みたいな、そういう企画展でしたけども、ぜんぜん見たことない作品ばかりで、私はかなり興奮して一生懸命見て、眼が本当に疲れてしまったんですけども。

まあ改めて思うのは、まず北斎自身がすごく才能があって、それで本当にレオナルドダヴィンチ級の人だと思うんですよ。

一点一点作品が違うんですね。

だから同じように神奈川沖浪裏波がザッパーンとね、ああ言う同じような絵もいくつかあるんですけども、それぞれ違う波を描いているんですよ。

富士山の絵もたくさん描いてますけども、どれも違って工夫を凝らしていて、教養と知性と技術の限りを尽くして作品を作っていて、すごいなという風にして思うんですね。

北斎も頭使って書いてますからね、だからこっちも頭を使って色々「ああこういう風にして工夫してるんだな」って頭使いながら見るから余計疲れるんですけども。

だからそうやって北斎のレベルが高いってのはわかってるんですけども、見れば見るほどレベルの高さがより理解できてくると。

レオナルドダヴィンチの勉強もちょっとしたのでそういう関連で北斎を観ると、ぜんぜん引けを取っていないと言うかね。

時代は違いますけどもやっぱり一般的に言うと江戸時代というのは遅れた時代で、封建時代で、そっから西洋から進んだ文明が入ってきたというふうにして何となく思ってますけども、全然そんなことがなくて、北斎の作品を見る限り文化レベルってのはぜんぜん同時代のヨーロッパにもひけを取らない取らないぐらい成熟して、大変な域に達していたんだなというのがね、北斎の作品を通してよくわかったんですけども。

それも北斎一人だけが凄いわけじゃないんですよね。

つまり北斎というのは売るために絵を描いていたわけですから、北斎の浮世絵というのを江戸の庶民たちが買ってたわけですよね。

だから江戸の庶民というのはそういう北斎の作品の高さというものを理解していたし、北斎が背景としていた教養であるとか、文化レベルであるとか、そういうものを共有していたわけですよね。

だから北斎一人だけがポツンといたわけではないので、北斎のレベルの高さっていうのは江戸庶民の、江戸時代の市民文化のレベルの高さを表しているんだと思うんですよ。

ちょっと僕も歴史の勉強をし直してる最中で、帰省中は実家にいる時はイギリスの歴史をちょっとおさらいしていて、でそっからちょっと日本ももう1回振り返らなきゃいけないなと思ったんですけど。

近代の歴史ですよね、産業革命があるとあっという間に世の中が変わるとかね、フランス革命があるとあっという間に世の中変わるとか、そういうことじゃなくて歴史って言うのはあらためて勉強してみるとすごく複雑な要素が絡み合って、そして紆余曲折あるわけですよね。

だから葛飾北斎の時代っていうのは黒船が来航する直前の時代ですけど、もうその頃かなりのレベルの文化っていうか、もう近代ですよね。

本当に北斎の作品を見てるとこれはもう近代だと、少なくとも中世とは言わないし、近世というのもね、もっとこう本当に近代的な視点なんですよ。

現代とそんなに変わらないわけですよね。

それでいてレベルが全然高いわけですよね。

一つ私が改めて思ったのは、まだそうやって芸術の時代であったと、その当時江戸時代に芸術という言葉は日本にはなかったですけども、でもやっぱり絵画というもの、版画というもの、浮世絵というもの、北斎の肉筆画もありましたけども、それも素晴らしいものでしたけども、でもそういう芸術作品、美術作品そのものの、芸術という言葉はなかったですけど、芸術に相当するものの価値がものすごく高かった時代ですね。

だからその意味で言うと、「芸術の時代」だというふうに言えるんですけど、その意味で言うと、今は「芸術の時代ではない」んですね。

芸術の地位が社会的地位が下がったわけですよ。

なぜかって言うと、芸術の芸術的価値が下がったと同時に相対化されたんですね。

だから北斎の浮世絵って言うのは、北斎一人で作ったわけじゃないんですよね、あれは共同作業なんですよね。

だから絵師としての葛飾北斎がいて、そして版木を彫る彫り師がいるわけですよ、版画ですからね。

木を彫るわけですよ、そして刷り師がいるわけですよね。

で刷り師もボカシ技法とかなんとかってものすごい技術を使ってるわけですよね。

そういうまあ非常に緻密なものですけども、そういう緻密な版画の技術というのは今は失われてしまってるわけですよねーー復刻している人もいますけどもーー極限の細かさを見せつけてくれるわけですよ。

北斎の版画っていうのは、今回の北斎館の展示は絵本が主だったんだですね。

絵本って言うと、富嶽三十六景の大判サイズに対してすごく小っちゃいわけですよ。

だから今で言うと四六判の単行本ぐらいの大きさですかね、すごく小っちゃい中にかなり細密に版木が彫られていて、そういう技術って言うのは今は失われているなというふうにして思ったんですけど、実はそうじゃないんですね。

そういう日本人の緻密な器用さが、そういう技術が産業革命の受け皿になって、それが今も続いてるわけですよね。

そういう手先が器用で先進的な思想を持った日本人だから、西洋の技術とか思想とかそういうものを受け入れることができたと。

それがなかった中国や朝鮮は、それに反発して産業革命遅れてしまったという事情があるんですけど。

だから日本人の浮世絵に見られるような精密で繊細な技術というのは、今で言うところのカメラ技術とかね、集積回路なんて凄く精密にできていますけども、そういう技術的な細かいところまでは私はわかんないですけども、そういうの日本人ならではの日本人が産業革命に成功して、戦後は工業が躍進したというところは、浮世絵の技術というものをベースにしていると。

浮世絵だけじゃないですけどね、江戸時代の文化ですね、そういうものの延長上にあると。

だから逆に言うと江戸時代の日本には精密機械工業というのは無かったわけですよね。

だからそうすると今の時代に精密機械工業に振り分けるところのリソースが、人的資源が、様々な才能であるとかね、そういうものが全部絵画に芸術に版画にそういうところに投入されていたわけですよ。

だからこれは日本だけではなくてその昔というか十年以上前ですけど『中国の至宝展』というのを観に行って、つまり古代中国の殷とか夏とか、本当に歴史的記述の最初の文明ですよね、中国のね。

それは後の中国文明とはまた違う、とにかくものすごい美術品が出土されるわけですよ、中国でね。

それは見事なものですけど、その当時ってのは芸術というものが最先端という、かとにかく人間の手先の器用さとそれと頭脳力ですね、美的センスを含めた頭脳の力手先の器用さを見せつけるのは、今は工業製品というのがありますけども、それが無い時代は全て美術作品に集中してるわけですよね。

それが芸術の時代、美術の時代であって、で今は、近代っていうのは、実は美術の地位が相対化されて失墜する時代なんじゃないのかなと。

だからやはり最近の芸術は質が落ちたとか何とかっていう話はいろんなところでありますけども、それはそもそもがそういう時代なんだと。

芸術の価値そのものが相対化されて地位が失墜して、もはや芸術の時代ではないと。

でその中で私なんて呑気ですからね、何も考えないで芸術の価値は至上なんだってね、芸術には至上の価値があるってね、金に換えられない価値があるんだとかね、そういう馬鹿なことを言ってると、時代錯誤なこと言ってると、だからそれは無知の産物にすぎないんですよ。

だから私は最近はとにかく反省して、全分野に好奇心を働かせなきゃいけないと。

芸術家だからって芸術のばっかり知ってれば良いものではないわけですよね。

ろくに美術史だって知ってないのに、でもそうじゃなくてもっと人類史、歴史とか、あと経済学ですよね。

やっぱりいちばんの間違いの元は、自分自身がアーティストだっていうふうにしてアイデンティティを位置付けると、なにかアートとか芸術というものが至上の価値があるように錯覚してしまうと。

でその認識というのは間違いなんですよ。

近代っていうのはその意味で言うと芸術とかアートとか言うもの
が相対化される時代なんですね。

近代以前っていうのは絶対化されていたんだけど、絶対の価値があるんだと。

だから浮世絵の文化というものを極限まで発達してその極限に葛飾北斎がいたんじゃないのかなと。

ルネッサンスにおいてはレオナルドダヴィンチがいたと。

そうやって極限的に進化してその後に近代が訪れると、芸術が相対化されるという時代になったんだと。

それを
ちゃんと自覚しなきゃいけないなというお話でありました。芸術の時代と芸術ではない時代