アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

第44回芸術分析塾ラカン

第44回芸術分析塾ラカン

ラカン《ノーネイム》

第44回芸術分析塾ラカン 

 


1月10日(土)

 


【ニュース】

ブリジストン美術館の『デ・クーニング』展を見た後に、デ・クーニングの洋書画集を見ながら、レクチャーをします。

●20世紀日本美術史は、1970年代の作家3人、彦坂尚嘉、菅木志雄、李禹煥の三人をやります。

ラカンの読書会では、《象徴界》についてやります。

 



【塾の紹介】は、後ろにあります。


«««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««

1時限目:朝 10:00~12:00


《個人のための芸術分析ワークショップ》


個人授業で、その人の作品を分析します。作家と言うのは、その作家の人格にあった作品を作っていきます。ですから、自分の人格と、作品を、まずは、きちんと自覚して、どうするかを考えなければなりません。優秀な能力や才能のある人ほど、悩みもあって、自信を無くしているものです。そう言う人を対象にしています。芸術分析をして、そのアーティストを励ましていくのが、目的です。詳しい内容は、《個人のための芸術分析ワークショップ》という記事で読んでください。

««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««

2・3時限目:午後 13:00~17:30



課外授業 デ・クーニング

ブリジストン美術館で開催されている『デ・クーニング』展を見て、洋書画集を見ながら、デ・クーニングについての授業をします。
ブリジストン美術館の入り口に13:30分に集まってください。

u6.jpg


4時限:夕方 18:00~19:30



人類史700万年;20世紀日本美術史:1970年代


20世紀日本美術史は1970年代です。
彦坂尚嘉と、菅木志雄、李禹煥をやります。
彦坂尚嘉は《文明》の作家。菅木志雄は《野蛮》の作家。李禹煥は《準-文明》です。
こうした文明論の視点から論じて、さらに1970年代の半ばにある、
《反-文明》から《非-文明》、そして《無-文明》に変わっていく文明の転換点を論じます。

imgres_20150107184832e27.jpg

b0038445_8561072.jpg

mono-ha_suga3.jpg

s_lee_guggenheim.jpg


5時限:夜 19:40~21:30


第79回「ラカンと美術読書会」

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
ラカンと美術読書会連絡係りの加藤 力と申します。
ご案内させていただきます。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
第79回「ラカンと美術読書会」のご案内
日時 1月10日(土)19時40分~ 2時間程度
場所 竹林閣(新宿三丁目)/一般社団法人  TOURI ASSOCIATION
東京都新宿区新宿5-14-3 有恒ビル6F 
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ラカンと美術読書会」とは、 彦坂尚嘉(日本ラカン協会会員、美術家、
立教大学大学院特任教授)が主催するレクチャーとワークショップ付きの読書会です。
ジャック・ラカンを日本語訳で読む。そういう非常にゆるい勉強会グループです。
読むのは『精神分析の四基本概念』です。
ワークショップのためのクロッキーの紙と絵筆、マーカー、クレヨン等は用意してあります。
テキスト 
ラカンのセミナール『精神分析の四基本概念』 (岩波書店)
◎平易な入門書 精神分析辞典の「象徴界」の項

RSI.jpg

  ◎美術は 林典子写真集「キルギスの誘拐結婚」

P28-33_320Kyrgyzstan_seki_02-1.jpg

AS20131204000922_comm.jpg

参加費 1500円 学生割引1200円。その前の芸術鑑賞会と連続して受講する人は1000円)
彦坂尚嘉の芸術鑑賞会は、同じ場所で18:00からやっています。こちらのご参加もお気軽に。



【塾の紹介】

««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««

芸術分析塾ラカン

一般社団法人 TOURI ASSOCIATION


 竹林閣:東京都新宿区新宿5-14-3 有恒ビル6F


※有恒ビルの1Fには「鍵の救急車」がある。


申込・問い合わせ(080−3605−5912 糸崎公朗 E-mail:糸崎公朗/itozaki<itozaki.kimio@gmail.com>

糸崎公朗/itozaki <itozaki.kimio@gmail.com>

image.jpeg


「竹林閣(新宿三丁目)への道順」 新宿三丁目駅下車(地下鉄は、副都心線丸ノ内線、都営新宿線の3本があります。) 参加費 1コマ2000円、2 コマ3000円、3コマ4000・・・です。



««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««

《新しいアートの学習と、反省と、非暴力革命へ》


imgres_201412222055028ed.jpg

新しいアートの時代が始まっています。日本という島国に住む自分自身が、江戸時代の浮世絵のように気持ち良くコレクションしていける作品を作りたい。インスタレーションの時代を終えて、つまり見るだけで終わるのでは無くて、コレクションを作っていける作品を作りたい。

imgres_201412222110525e1.jpg

しかしながら、そこに留まらず常に進化するアートを作り続けたい。アートは前に進んでいく。どんなに停滞した時代であっても、アートの様態は変わり続けてきた。《固体》から《液体》へ、そして《気体》へ、さらに《プラズマ》へ、《超高温プラズマ》へ、《超・超・超・超高温プラズマ》へと変化し続けてきた。アートは出尽くした、絵画は終わったととささやかれるようになったとしても、私たちは、進化する確信を揺らがせることはない。

imgres-1_201412222054589c4.jpg

アートとは普遍的なものなので、数千年前のメソポタミアや、エジプトで誕生して以来、なにも変わることは、ないのかもしれない。その意味では古代文明の《固体》は、普遍的な様態だ。いや、人類史700万年の最初からアートは存在し続けた。生物史40億年の超過去から《越境》や《未知》は作動し続けた。ならば《絶対零度》の様態も普遍的なのだ。

imgres1.jpg

でも、古い芸術に留まり続けたり、あるいは過去に戻る反動ではなくて、必ずもっと新しい美術や音楽に出会えると信じているから、アート・ギャラリーや、美術館を巡る。ヒットチャートを聞き続ける。単なる思い込みではなくて、期待に応えてくれるアーティストはいつの時代にも必ず現れてきた。

imgres-2_20141222205500fdf.jpg

アートを作る上で、いままで当たり前であったと思われること、常識だとおもわれていたことを疑っていくこと。いま作られているやり方、過去の作家やった制作の方法というのは、本当の《真性の芸術》を出現させる作り方では無い。新しい技術や手法、そして古い技術やまともな作り方を組み合わせて、《越境》と《未知》の精神が本当のアートを作り出す。

imgres.png

反省し、論理的に考えて行くことで、違いが生じて、《文明》の作品が生まれる。既成の他人の芸術を盗作する野蛮なアートや、物まねの《準-文明》のアートではない。学習し、自分に引き寄せて反省することで、自分に内在した新しい《文明》の作品が生み出される。模倣を越えて、自己内在性のあるオリジナルのアートを生み出すこと。

imgres-3.jpg

一方で、ただ新しいことだけを求めるのは履き違えている。基本精神は「人のため」ということです。他人が面白く、いきいきとしてコレクションを続けられる作品を生み出す。「他人の喜びのために」作り出すこと、それは無償のものであり、その努力は見えないのかもしれない。

スクリーンショッ

そのためには、制作をみずから管理し、主催するネットギャラリーから作品を発表してきます。既成の商業主義ギャラリーや、公立美術館にたよらず、自分たちで流通まで行うインディペンデントな活動を行います。
古い教会や、既成の寺院の中に神や仏がいないように、もはや美術官僚たちが食べていく保身の機構になった巨大美術館や、高額な作品を少数の超富裕層に売る巨大ギャラリーの中には、今日の最下層世界に生きている絶望している小さな人々のための芸術が無くなってきているのです。

51WSEGVC8PL.jpg

街の中に、路上に、そして生活の中に、小さな最下層のアーティストが作り出す《真性の芸術》が立ち現れる時代です。非暴力主義の暴動による最下層革命としての《アート》が立ち現れる時代へ!!!!

 

北野武監督作品『この男凶暴につき』

北野たけしについてFacebookで書きましたら、思ったよりも反応をいただいたので、続きを書きます。ブログでは、Facebookの記事は明日Upしますので、順序が逆になります。

『この男凶暴につき』は、私は封切りの初日に行っていて、そしてビデオ買っていて、何度も見ている好きな映画です。好きな映画ではありますが、しかし《野蛮》です。

《野蛮》ですが、ただ、良いのは、《映画》になっていることです。

《原-映画》《映画》《反-映画》《非-映画》《無-映画》という映画概念の梯子があります。

この《映画》になっているということは、高く評価できます。


……………………………..
比較で言えば、ほぼ同じ時期の村上龍の映画は失敗するのですが、
それは《映画》にならなかったからです。

たとえば村上龍監督第4作「トパーズ」には、
《原-映画》《映画》という概念はありません。

有るのは《原-演劇》《演劇》《反-演劇》《非-演劇》《無-演劇》という演劇概念の梯子だったのです。

道具立ては華やかですが、「トパーズ」は《想像界》だけで、《第21次元 エロ領域》という低い映画です。



……………………………..
『この男凶暴につき』が、《野蛮》だと言いましたが、
たとえば伊藤俊也監督の『女囚701号/さそり』は、彦坂尚嘉の芸術分析では《文明》になっているのです。
この差は、何なのか?

『この男凶暴につき』は、芸術分析的には、次のようになります。



《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》までの4界の精神で作られた映画。

《格》ですが、思ったよりも低くて《第8次元 信仰領域》です。

芸術になっているかと言うと、《芸術》ではありません。

《原-デザイン》《デザイン》《反-デザイン》の映画です。

……………………………..

この映画の企画は、『ダイ・ハード』を見て、作られたと当時の情報で読んだ記憶があります。

ダイ・ハード』と比較すると、まず、《ディープミステリ》というリテラシーの有無の問題があります。



今日の芸術の多くは、映画も、音楽も、美術も、この《ディープミステリ》に依拠して作られているのですが、北野武の映画にはこれが無い。

第54回ヴェネツィア国際映画祭にて金獅子賞を受賞した『HANA-BI』もまた、
想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》までの4界の精神で作られていて、
《ディープミステリ》が無い。

北野武の精神そのものが、古くて、国際的な現代性を欠いているのです。

……………………………..

たとえば デヴィッド・フィンチャー監督の『ドラゴン・タトゥーの女』ですと、《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》《ディープミステリ》《ノーネイム》《越境》《未知》の8界があります。
北野は4界、フィンチャーは8界、2倍違うのです。




そして伊藤俊也監督の『女囚701号/さそり』は、フィンチャーは8界を越えて、《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》《ディープミステリ》《ノーネイム》《越境》《未知》《その先》までの9界があったのです。


……………………………..

誰も信じないでしょうが、彦坂の言語判定法では、伊藤俊也監督の『女囚701号/さそり』は、《文明》なのです。

普通の常識では、この映画は下品な《野蛮》と思うのでしょうが、
そうではなくて内在的な原理で作られている《文明》の映画なのです。

《文明》には内在原理があります。

しかし《野蛮》には、無い。

言いたいことは、映画をつくる予算の規模の問題では無くて、北野武の映画監督としての精神そのものが《野蛮》で、優れた映画になる内在的な原理的深さを欠いていたのだと私は思います。
……………………………..

精神の問題は、予算の規模からは、切り離せると私は考えます。

……………………………..
まあ、古くさい精神主義と受け取られると思いますが、今日でも『老子』や、上座仏教の『スッタニパータ』を読むことに意味があると思っています。

そこには、《ディープミステリ》《ノーネイム》《越境》《未知》《その先》までも書いてあるのです。

北野武は、《文明》の古典的な教養がなかったのではないか?

だから《野蛮》に留まっている。

アーティストは、東洋の古典を読みましょう。

その教養が現在の新しさを把握するのです。