アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

一般と特別

自分が「特別な自分」であるならば、時代や地域などの状況に関係なく自分は「自分」として存在する。しかし自分が「一般的な自分」であることを自覚するならば、「自分とは何か」を知るために自分が属する時代や地域の状況を知ることは、極めて有効となる。

自分が「特別な自分」である限り、それ以上何も知る必要はない。しかし自分が「一般的な自分」である事が自覚されるなら、「自分」を知ることは「一般」を知ることにつながり、一般とは実にありとあらゆる分野の一般へと繋がっているのである。

「特別な私」ではない「一般的な私」とは、つまり「一般」に対する奴隷であり僕なのである。変換して気づいたのだが僕(ぼく)という一人称と僕(しもべ)の字が同じなのである。つまり私とは本質的に僕であり奴隷なのである。

奴隷とは何か?例えばフッサールは哲学の奴隷であり、哲学の奴隷として哲学の発展に寄与したのがフッサールなのだと言うことができる。対して現代日本の哲学者である中島義道先生は「特別な私」にこだわり哲学の奴隷として哲学に寄与していない。

芸術も同様であり、「特別な私」であることをやめて、奴隷として芸術に仕えて芸術の発展に寄与するのが、芸術家本来のあり方だと言える。そもそも文明を『ハンブラビ法典』にまで遡って捉えるならば、その原初から社会福祉の思想が基盤にある。

つまり文明社会を統治する役目の王様が、大多数の庶民を養うための「奴隷」の役を負っていると見る事ができるのだ。文明というシステムは、そのシステムをどう動かして発展させるか?を理解して考えることが出来るごく一部の人々によって運営されている。

そしてそれ以外の大多数は、自分たちでは「何をやったらいいのかわからない」人々で、これが庶民とか大衆などと呼ばれる。つまり文明というシステムは、少数の有能な者が、多数の無能者にその食い扶持を与え養っている。逆に見れば少数の有能者が奴隷となって、大多数の無能者に奉仕し養っている。

無能な者は他人の保護を必要とし、有能な者が必然的にそれを支える。その図式において無能者とは貴族であり、有能者は奴隷だと言える。実際に李氏朝鮮時代の支配階級である両班は労働もできない無能者で、それを中人と言われる知的階級が支えていたのである。

現代日本においても、民主主義の名の下に民(たみ)が主(あるじ)といて社会の頂点に君臨している。つまり現代において「一般」には二つの意味がある。一つには世間的な意味での「一般人」が一つの「特別な地位」であり、多くの人はそれを獲得しまた維持するために全エネルギーを注いでいる。

無能者は無能であるが故に保護されるという、そのような「地位」が文明というシステムに用意されている。分かりやすく言えば、例えば有能者が会社を立ち上げ、無能者に仕事を与える事でこれを養っている。会社の社長はそのやうな「地位」を社員に与え、多くの無能者がその地位を得ることを望むのである。

真に有能な者は本質的に奴隷である。奴隷には名前が無いと言われるが、歴史に名を残す者の名は歴史的「指標」として機能しているに過ぎない。奴隷が歴史の奴隷として歴史の生成に寄与したならば、その人の名前は「指標」として残されるのである。

いや、人を有能と無能とに分類する事自体は間違っている。そうではなく、人は誰もが何をやって良いのかわからず、それだからこそ王様になるか、奴隷になるか、どちらかを選択するのである。

王様を選択したものは「何をやって良いのかわからない」まま文明のシステムに保護され、奴隷を選択した者は主人の命令に従うことで「何をやって良いのか分からない」という事態を解決する。

私はなぜ私を「特別な私」として「非人称芸術」という自己主張をしなければならなかったのか?それは「民主主義」という言葉に惑わされたのだが、民主主義において民(たみ)自身が主(あるじ)としての主体を確立し「特別な私」を確立しなければならないと思い込んだのである。

「近代的個人主義」という言葉自体が罠なのである。個人とは実に無意識の端末であり、無意識とは「一般」なのであり、だから個人は一般の端末として機能している。そして事物の一般化に寄与した者がその指標として名を残し、事物についての極端な主張は瑣末として歴史から振るい落とされるのである。

近代的個人主義とは「特別な私」としての個人の存在を「信じる」事によって成立する。それは多くの人が、宗教とは神の存在を「信じる」事によって成立する、と信じていることの裏返しである。

現代日本人の多くが、「自分」の存在は疑いようがないが、神の存在は疑わしいと思いなしている。しかしそれにはなんの根拠もなく、神の存在が疑わしければ、私の存在も同様の疑わしく、神の存在が疑いようがないとすれば、私の存在は疑わしいものとなってくる。

自己主張をしたがるのはそもそも自己の存在が疑わしいことの裏返しなのであり、あらゆる自己主張は中庸ではなく極端に偏り、しかもそれぞれがバラバラではなく、皆同じ方向の極端へと偏る。なぜなら自己主張する人はみな同じ時代、同じ地域の影響をその自覚なしに受けているからである。

私の「非人称芸術」という自己主張も時代と地域の影響を受け、その意味で同世代の日本人アーティストの村上隆さんとは兄弟の間柄で、近親憎悪の愛情で深く結ばれているのである。この兄弟の絆を断ち切ろうとするならば、私自身が自己を捨て「一般化」に帰依しなければならない。