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前衛と取り違え

前衛と原始が取り違えられることがあるのです。どちらも近代の否定であり、故に前衛をやっているつもりで、その実原始的なものに回帰しているという、取り違えが生じるのです。反省すると、私の「非人称芸術」もこれと無関係ではありません。

「前衛」とされる美術の中に、実のところ原始美術が多く含まれています。これは彦坂尚嘉先生の指摘ですが、私もようやく腑に落ちました。原始美術は原始的な精神によって作られます。そして前衛の名の下に、文明を否定する原始的な精神が復活しているのです。

人間の精神の基本は原始です。生まれたばかりの赤ん坊は、原始的な存在です。人間の存在の根底には原始があります。というより文明は、人間の原始性を根底へと抑圧するのです。抑圧された原始が「前衛」の名の下に解放され、現代の原始美術が生じるのです。

生物が進化しているように、人類の精神も進化しています。しかし、いかに生物が進化しようとも、原始生物に至るまでのさまざまな進化の段階の生物が同時に存在します。人類精神もまた同じで、ポスト近代人、近代人、原始人、がポスト近代というこの時代に同時に存在するのです。

人間の赤ん坊は原始人として生まれこれを近代人、ポスト近代人へと育て上げるのです。しかし誰もがポスト近代人へと成長するわけではなく、近代人、原始人の段階で生育がストップする人も多くいるのです。いや有体に言えば誰もが現代に適応した現代人になりますが、根底の精神においてそう言えるのです。

「前衛」は言葉の定義上「伝統の否定」ではないのです。前衛とは最前線で戦う人ですから、伝統を受け継ぎこれを拡張するのが前衛です。岡本太郎のように、前衛の名の下に伝統を否定することは、文明を破壊する蛮族の襲来と同じです。戦後日本の現代美術は蛮族の襲来です!

赤瀬川原平さんが『反芸術アンパン』で記述した1950-60年代の日本の前衛芸術も、「前衛」に名を借りた原始美術に過ぎなかったのです。これらの美術が「難解」だとされたのは、前衛と原始が転倒し錯誤されていたことによるのです。

判別は容易です。「前衛」の名の下に伝統を否定するのが現代の原始美術です。本物の前衛芸術は、表面的には非伝統的でありながら、根底的には伝統の拡張なのです。

つまりキリストのブドウの木の例えです。キリストはブドウの木という伝統を受け継ぎながら、これを前衛的に拡張したのです。ですからパリサイ人に憎まれ殺されました。パリサイ人は伝統を引き継いでいるようで、実際は自分たちの都合で伝統を歪めており、キリストはこれを指摘したのです。

前衛の敵は伝統ではなく、伝統を自分の都合で歪めている人々です。人は自分の原始的欲望によって、伝統を歪めます。なぜなら伝統とは、人間のもつ原始性を抑圧するシステムだからです。このシステムを歪めることにより、自らの原始的欲望を満たそうとするパリサイ人が、前衛の敵なのです。

前衛のもう一つの敵は、「前衛」の名の下に伝統を破壊しようとする原始人、蛮族です。蛮族は伝統を破壊し、そして自らも破壊し死に至ります。キリストによるブドウの木の例え話のように、伝統とは命であり、芸術の伝統から離れて芸術の果実は実らないからです。

実際に赤瀬川原平さんをはじめとする日本の「前衛」芸術家たちは、自らの作品を保存せずに破壊し捨ててきたのです。伝統を否定し断ち切ることで、自らのアートとしての命も断ち切ってしまうのです。これが現代の原始美術の在り方です。

原始美術も実は伝統を引き継いでいます。それは動物としての人間の伝統で、それこそが原始性です。言ってみれば人間は、何もしなければ自動的に原始的な伝統を引き継ぐのです。原始的で自動的な伝統を否定するのが、人工的で自覚的な伝統です。真性の前衛は原始的な伝統を断ち切るのです。

岡本太郎は人工的で自覚的な伝統を否定することで、原始的な伝統を自動的に引き継いでいるのです。つまり、楽をしようとしている。楽をしようとする気持ちを抑圧するのが伝統で、これを解放するのが「前衛」だと錯誤しているのです。

岡本太郎は「困難に立ち向かえ」と説いていますが、実のところ「自分が認識できる範囲の困難さ」に立ち向かうだけで、認識の困難さそのものには立ち向かっておらず、だから主張も作品も単調になるのです。

前衛は伝統を否定するのではなく、人間の原始性を否定するのです。キリストが前衛的なのはパリサイ人の伝統を否定したのではなく、パリサイ人が自らの原始性によってユダヤの伝統を歪めたことを否定したのです。パリサイ人がキリストを憎んだのは、自らの原始性を言い当てられたからです。

前衛は伝統を断ち切ることで前進します。しかし「伝統」と言うものをきちんと認識しなければ、それを断ち切ることも前進することもできなきのです。伝統を拡張するため、前衛は伝統を断ち切るのです。