アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

子供と大人

一般に子供は環境の変化に柔軟に対応し、大人はそれが苦手だとされています。子供の欠点は、子供にとってはどんな環境も新しく、その都度学習し適応しなければならず、それだけコストがかかり効率も落ちます。対して大人は、既知の環境であれば学習の必要もなく、素早く適切に判断し行動できるのです。

子供から大人になるということは、ある意味では環境の変化を前提としなくなることだと言えます。子供にとって環境は常に変化し、大人にとって環境は変化しないものとして認識されます。環境に適応するとは、環境を変化しないものとして認識することだと言えます。

例えばモンシロチョウの幼虫は、アブラナ科の植物に含まれるカラシ油配糖体に反応し、これを食べ物として認識します。つまり本能的に環境に適応している昆虫は、環境を完全に固定化したものとして認識し、少しの環境変化にも対応できません。その意味で昆虫の幼虫は生まれた瞬間からもう既に大人なのです。

大人は環境を変化の無い固定したものと認識しますが、環境は大抵変化しないものだし、そのように割り切った方が判断が早く、考える必要もなく、効率が良いのです。

大人は環境の変化を認識できない。これは重要なポイントです。例えば東日本大震災の直後、福島のある小学校では先生が全校生徒を校庭に集めて待機させていたそうです。中には不安を訴える子もいたそうですが、先生は聞き入れず、その結果ほぼ全員が津波に飲み込まれる事になったのです。

人間にとって環境は変化しないと同時に変化します。それは生物種が変化しないと同時に変化(進化)するのと同じです。古代エジプト文明は数千年間変化せず、文明以前の人類史700万年もの間、人間の環境に急激な変化は無いに等しかったのです。しかし近代以後人間の環境は急激に変化するようになったのです

人間は他の動物に比べ、環境変化に対する適応力が格段に高いのです。その一つの理由は、人間には高等動物の子供の形質である好奇心や学習能力が、大人になっても備わっているからです。その意味で人間はネオテニー幼形成熟)だと言われるのです。

人間の性質は個人によりバラツキがありますから、人間の大人にも動物的に成熟した大人と、幼形成熟した大人との、二つのベクトルがあるのです。動物的に成熟した大人は効率優先である反面、環境変化に弱く、幼形成熟した大人は非効率である反面、環境変化に強いのです。

同じ環境にいても、それを固定された環境と見るか、変化する環境として見るかは人によって違います。子供にとって環境は常に新しい局面を現しながら変化しますが、大人になるにつれてその変化が緩やかになりやがて固定される人と、大人になっても子供の時のまま環境が変化し続ける人とがいるのです。

子供は自分は何も知らない事を前提に他人からものを教わりますが、大人になると「自分は知っている」という事を前提に物事を判断するようになります。「自分は知っている」と思いなすことは環境を固定化して認識することと同意です。環境が変化しない事を前提に「自分は知っている」と言えるのです。

人はあらゆる事について「自分は知っている」と自信を持って断言しますが、なぜそれが可能なの?「自分は知っている」と自信を持って言える人は環境が変化しないことを「信じて」いるのであり、そのような信仰は「慣習」によってもたらされるのです。

例えば今は夜ですが、明日の朝になれば日が昇ることを「自分は知っている」のです。その確信は、これまで夜になってはまた日が昇ることが毎日繰り返された経験が蓄積し、慣習化されているからです。しかし究極的に考えると、明日になっても日が昇らなくなる事態になる可能性は、ゼロとは言えないのです。