アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

類似と序列

 人は、認識世界の中で、自分の身体を認識し、自分の身体により似たものから、より似ていないものまで序列をつけながら、認識します。例えば、目の前の他人は、足元の石コロよりは、自分に似ています。

 人間が作る道具は、人間に似せて作られています。家具やお店の什器や看板類などもそうです。これらは、人間の代わりにそこに置かれ、人間の代わりに機能しています。小説『家畜人ヤプー』の世界は、この点で現実を反映しています。

 自分が初めて目にするその椅子が、なぜ椅子だと自分にわかるのか?その椅子はまず自分に似ており、自分がこれまで見た様々な椅子に似ており、自分が産まれて初めて「椅子」だと認識したその椅子に似ているのです。そうした「椅子の概念」を初めて目にするその物体に移し入れ「椅子」だと認識するのです。

 フッサールによると、認識とは認識の根元に遡ることです。目の前のハサミをハサミとして認識することは、産まれて初めて「ハサミ」として認識したそのハサミに遡ることです。同時に、認識とは産まれて初めての自己認識に遡ることであり、あらゆる事物について、自己との類似性を瞬間的に判別するのです。

発生から言って純粋に第一次領域に属する統覚と、他我という意味とともに現れ、高次の発生によって他我という意味の上に新しい意味を積み重ねてゆく統覚との、この二つの統覚の間の根本的区別に立ち返ること。

フッサールデカルト省察