アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

戦争と分類

科学が進歩して世の中が進歩しても、戦争が無くならないのはなぜでしょうか?ふと気付いたのですが、それは人は人を嫌うことを本質としているからではないでしょうか?

人はさまざまなものを分けますが、分けることは即ち認識です。人は生存のために「食べられる物」と「食べられない物」を分けますが、食べられるものからさらに「好きな食べ物」と「嫌いな食べ物」を分けるのです。

同じようにして人は「人」と「人でない物」を分けて認識し、人を「好きな人」と「嫌いな人」に分けて認識します。ですから例え戦争の無い平和な状況にあっても、人にとっては常に「好きな人」と「嫌いな人」が存在し、「嫌いな人」との確執が常に存在し、それが本質的な戦争の火種となっているのです。

あるいは人は、人を「仲間」と「仲間以外」に分けます。そして「仲間」と「仲間以外」で争うことを戦争というのです。「仲間」と「仲間以外」の構成員がそれぞれ多ければ多いほど、戦争の規模は大きくなります。

すべての人が「仲間」になって「仲間以外」がなくなれば、戦争はなくなるはずです。しかし個人レベルにおいて「好きな人」と「嫌いな人」を分けることなく、すべての人を好きになることは可能なのでしょうか?日常のレベルで「嫌いな人」と敵対しながら「戦争の無い世界」を望むことは可能でしょうか?

主観と客観、などと気軽に言いますが、歴史を紐解けば主観とは文明の賜物で、文明の中の野蛮人は客観性が無いのです。