アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

人種差別と才能論

「文章を書くのが苦手です。どうしたらうまくなりますか?」 村上春樹の回答に激震が走った!!
http://netgeek.biz/archives/28220

という記事が話題になっています。

こうした「才能論」の行き着く先は、実のところ人種差別ではないかと私は思います。

村上春樹先生は、「持って生まれたもので決まります」と答えておられますが、この言葉は「才能」と言い換えて差し支えないでしょう。

が「持って生まれたもので決まります」という直接的な言い方のほうがなお始末が悪い。
なぜなら「持って生まれたもの」を言い出すとその中に「人種」の問題が必然的に立ち現れて来るからです。

例えば日本の最高学府である東大は、世界レベルで見れば決して高いとは言えず、オックスフォードやケンブリッジに比べるべくもなく「低い」のです。

このような東大のレベルの低さを、村上春樹先生に倣って「持って生まれたもので決まります」と解釈すれば、「持って生まれたもの=日本人」という人種差別へと行き着くのではないか、と私は思うのです。

つまりそのような、日本人に対する人種差別を、他ならぬ日本人自身が行っているのです。

それは敗戦後遺症だとも言えるし、日本古来の島国根性だとも言えるかもしれません。

何れにしろ日本人の多くは、心のどこかで「日本人は外国人より人種的に劣っている」と思い込んでいて、自分で自分の能力を制限してしまっているのではないか?

私は3.11の原発事故をきっかけに、ふとそんな事を思うようになったのです。

ちなみに私は「持って生まれたもので決まります」という才能論は否定する立場でして、従って「日本人は劣っている」などという人種差別はもってのほかだと思ってますから「どうやったら文章が上手くなりますか?」という質問に対しては「とにかくたくさん本を読むことです」と答える事にしています。

私は単純な努力論を信じるわけではないですが、「持って生まれたもので決まります」と言う才能論を信じてる人は、けっきょくは自分の能力に自分でリミッターをかけているのだと思います。

村上春樹さんにしても「持って生まれたもので決まりです」ということを信じて、もっと良い小説を書くことができる可能性を、自分で潰してしまっていると、考えることもできます。

芸術における「才能」とは何でしょうか?

実は私は学生時代までは、自分に才能がないことに酷く悩んでいたのでした。

しかし、私は自分の才能に失望しながらも、なんらかの訓練や学習をせざるを得ない羽目に陥ってしまいまして、徐々に実力が付くとともに自身を回復したのでした。

一方で、中学の同級生で天才だった田中君は、高校卒業も出来ずに、親によって精神病院に入れられてしまいました。

また美大の同級生で天才だったi君は、ごく最近会ったら当時の才能がすっかり抜けきって、真面目なサラリーマンになっておりました。

世阿弥は『風姿花伝』で若い人の才能を「時の花」と表現してましたが、その言葉通り若い人の才能はどれだけ優れていようと一時期のものでしかない。

その「時の花」を乗り切ってこそ、本物のアーティストになれると世阿弥は書いているのです。

他人に伝えるのはなかなか難しいのですが、私が言いたかったのは、他人への差別ではなく、自分自身への差別です。

「才能論」を語る人は、けっきょくは「自分には才能がない」という理由によって自分を差別し、自分の能力にリミッターを掛けているのです。