アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

学問と一般化

反省とは何かと言えば、一つには自己を「一般化」して捉える事である。人間の自然な感情においては、自己は多くの他者たちと違う特別な何かのように実感されるが、自己をそのような例外としてではなく、多くの他者たちと立ち並ぶように一般化して捉えようとする行為を反省と呼ぶ。

そもそも哲学的思考というものが、あらゆる事物の「一般化」を目指していると言える。つまり普遍とか、客観などと言われるものは、一般化と言い換えることができる。一般化を極限まで追求したところに、客観や普遍や真理と言ったものが出現する。
私を「特別な私」として他者から際立たせて捉える限り、真の反省も哲学もあらゆる学問も生じることがない。

私を一般化して他者に埋没させて捉えたところから、真の反省が生じ、哲学が生じ、あらゆる学問が生じる。

学問とは、ユニークでオリジナルな「私の考え」を構築することではない。そのような「私の考え」はことごとく理論的に閉じて現実に的中しない「幕の内弁当理論」に過ぎない。

真の学問は「一般的な学問」に新たなページを書き加えることである。そこには「私」は存在せず「学問」が存在する。

芸術においても、ユニークでオリジナルな「私の芸術」を作るのではなく、一般的な美術の流れ(美術史)に新たな作品を加えることが、本来的な在り方だと言える。 

歴史とは一般化であり、一般化したものが歴史となる。世界には数かぎりない出来事が常に生じ続けているが、それぞれにユニークで仔細で数かぎりない出来事の集積を、ごく大雑把に一般化することで、歴史が生じる。

神の前では誰もが一般人に過ぎない。私が例外的な「特別な私」であり続ける限り、その人は絶対に神を知ることができない。

デカルトとアリストテレス

適切な呼称かどうか不明だが「幕の内弁当理論」と言えるようなものがあって、例えばデカルト方法序説』後半にあった、心臓の仕組みについての論文がそれに当たる。

 

デカルトはその当時科学的に解明されていなかった人体の血液循環の仕組みについて「熱膨張説」を主張し、これについて詳細に解説している。

 

血液循環が熱膨張で行われるというのは、今の常識からすると明らかな間違いでしかないのだが、デカルトは血液循環が熱膨張によるものであることを、様々な証拠をあげながら理路整然と説明する。

 

デカルトの理論は明らかな間違いで、想像の産物に過ぎないのだが、しかし理論としてだけ取り出してみれば、その理論体系の中では整合性が取れている。

つまり理論として矛盾なく完結しているけれど、現実とは全く対応していない、そのようなタイプの理論が存在する。

 

それは、ご飯と様々な惣菜がコンパクトな容器内に収められ、完結した宇宙を形成する幕の内弁当のような理論であり、そこから「幕の内弁当理論」と名付けてみたのである。

 

「幕の内弁当理論」は様々なところで見ることができる。

例えば以前、あるアーティストの講演を聞いたのだが、その人の話だけを聞いている限りはなるほど理路整然として整合性が取れているように思えるけど、実は肝心の作品そのものが良くなくて、理論と作品が合致してるように思えない。


つまりそのアーティストは、実のところ「何となく」のセンスで作品を作り、それとは別に、理論としてのみ辻褄のあった理論を後付けして、知的なフリをしているに過ぎない。

いやもっと言えば、知的行為とは「幕の内弁当理論」を構築することだと誤解している。

そのような人が、ある一定数確かに存在するのである。

 

そもそもそれはデカルトがそうであったし、何より私自身がそうであったのだ。それが私の「非人称芸術理論」であったのだが、非人称芸術は「幕の内弁当理論」に過ぎないとして、完全否定しなければならない。

いや、完全否定できるのか?と言い切れるか不明だが、今は「方法論的に」否定するしかない。

 

私が誤解していたのは、直接的にはレヴィ=ストロースについての解説本を読んだせいで、実際にどう書いてあるのか確認する必要はあるが、ともかく解説本にはレヴィ=ストロース構造主義によっていわゆる未開民族の知的体系と、欧米人の知的体系は「等価」であると論じたと書かれている。

 

レヴィ=ストロースによると、どれほど普遍性があるように思われる理論も、それは特定の文化に属しその影響を受けた人の思い込みでしかない。

つまり全ての理論は「幕の内弁当理論」であり、たとえヨーロッパの知的体系であっても、未開人の知的体系である「神話」のような理論を独自に創り出したものに過ぎない。と、私はそのように理解したのである。

 

ところがさまざまな哲学書を解説本ではなく原著翻訳で読むようになると、これまでの自分の理解がまさに誤解であったことが判明してくる。

一つには、狩猟採取生活段階の原始社会と、農業が発明されて以後の文明社会とでは、知的体系の規模が決定的に違っている点が理由として挙げられる。

 

文明というのは、一般的には世界四大文明と言われ、文明は四つの異なる地域からそれぞれ独自に発生したように思われているが、実は文明の起源はメソポタミアの一箇所であると考えた方が妥当性がある。

 

その理由のひとつは、人類史800万年、現生人類史15万年とすると、その間はずっと原始社会であったにも関わらず、文明の歴史約1万年の間に4回も偶然に「文明」と言うものが生じたとはどうも考えにくく、一箇所で一回限りに生じたものが、時を経て各地に伝搬したとする方が自然である。

 

そのようなわけで、文明とは西欧とか欧米と言った限定された時代や地域のものではなく、その知的体系は、一万年の積み重ねと世界規模の広がりを持つ、非常に巨大な樹なのである。

それに比べて原始社会の知的体系は、少人数の「群れ」の規模に過ぎず文字による蓄積もなく、それぞれが草のように小さい。

 

ところで最近、アリストテレスを何冊か読んでわかってきたのだが、アリストテレスの著作はどれもあるメソッドによって書かれており、フッサールはそのアリストテレスのメソッドに忠実に考察を深めているのであり、それが「あらゆる哲学はアリストテレスの哲学の注である」と言われることの意味なのだ。

 

私の「非人称芸術理論」も全くもって原始時代に回帰した幕の内弁当理論にしか過ぎず、実際に私は哲学の世俗的な解説本のみを読んでこの理論を構築しているのであり、出生からして間違っている。なのでここは自分の心情は無視して、方法論的にででも「非人称芸術理論」を完全に否定すべきなのだ 。

 

そうなると、実は明らかになるのが、私の作品「フォトモ」が成立している理由が、「非人称芸術理論」によるのではない、と言うことである。

私はこれまで「非人称芸術」をフォトモが作品として成立する根拠に据えていたのだが、それは私自身の誤解に過ぎなかったのであり、それが私の作品に対する評価と、私の理論に対する評価との「ズレ」としても現れていたのである。

私のフォトモはその初めから非人称芸術理論とは全く無関係に、別の理由によって成立していたのであり、それについて改めて考察する必要がある。

 

実は私はフォトモという存在について、非人称芸術のコンセプトに対して不純なものを感じていたのである。

つまり非人称芸術のコンセプトに忠実であるなら、そもそもフォトモを作ることや、記録写真を撮ること自体が不要なのである。

なぜなら、非人称芸術は「無作為」であることの完全性がそのコンセプトの要であるはずなのに、フォトモという作品を作ったり、記録として写真を撮ること自体が「作為」であるからだ。

しかし「非人称芸術理論」が間違いだったとすると、コンセプトに対し不純だと思われていた「作為」こそが、フォトモを作品として成立させていた要素である可能性が、浮上してくる。

 

いや実際にフォトモは、非人称芸術理論とは全く無関係の、フォトモ独自のいくつかの造形的メソッドの複合によって製作されている。

それらメソッドのうち一部が欠けている場合、フォトモは作品として成立せず文字通り「紙くず」になってしまう。

私はそのように、フォトモが「紙くず」にならないよう繊細な気遣いをしながら製作するのであるが、少なくともその「気遣い」は、作品を成立させる大きな要素だと言えるだろう。

 

なぜなら優れた作品は優れた料理と同じく実に繊細な気遣いによって成立するものだからである。

私になぜそのような気遣いができるのか?

それは一つの才能だとも言えるが、しかし才能とはもって生まれたものというより、その人の育ちの過程の何らかの理由によって「文明としての体系」に接続され、それによって発揮された能力だと言える。

 

つまり人は育ちの過程によって、いつの間にかある種の「まともさ」を身に付けることがあり、それが世間で「才能」と呼ばれるものの一つのあり方だと言える。

 

私の場合、フォトモの制作方には「まともさ」がある一方、非人称芸術理論の方は「まともではない」。

そして、私のまともではない理論は、元を辿ればデカルトの血を引いている。

 

デカルト系の理論というものがあるのだが、理論は現実とは無関係に、閉鎖的理論体系をいくらでも作ることができる。

理論によって、コンパクトな整合性を持つ様々な種類の「幕の内弁当」がいくらでも製造できてしまう。

しかしこれらの理論は現実とは一切対応しておらず、その意味において「間違い」なのである。

 

一方でフッサールは、デカルト懐疑論から出発しながらも、アリストテレスのメソッドによって考察を深めて行ったのだと言える。

フッサール現象学的還元や判断中止は、実にアリストテレスのメソッドを別な言葉で言い当てたものであり、古代から伝わるそのメソッドを失った哲学者、科学者たちを批判したのだ。

 

哲学の方法論にデカルト式とアリストテレス式の二種類があるとすれば、以前の私はデカルト式で、それからアリストテレス式に切り替えたのだから、デカルト式によって考えた「非人称芸術理論」は間違いであることが明白で、未練なくこれを捨てらさなければならない。

いや、非人称芸術理論を全く忘れ去るというのではなく、それがどのように間違いなのかも含め、アリストテレスのメソッドによって再考する必要がある。

 

私の非人称芸術は、岡本太郎の芸術論の極限化であったが、岡本太郎の芸術論はデカルト的思考の産物であり、だから私の非人称芸術は、デカルト的思考の極限化だったのである。

つまり「私」を基盤に置いた芸術の極限化である。

 

なぜ私はそのような極限化をしなければならなかったのか?

まず私にとって芸術とは「私」を基盤に置いた芸術以外に考えられなかった。

私は美大生ではあったが、状況的に「学問」というメソッドから遠ざけされ、世俗的に芸術を定義しなければならなかったからである。


ところが私には「私」を基盤に置いた芸術作品を作るための「才能」が無く、このことで大学卒業後しばらくまで随分と悩むことになる。

そこで私はそのような自分の才能の無さを克服するため、「私」を基盤に置いた芸術そのものを極限化し、その向こう側へと突き抜けようとしたのである。


その結果、私は「非人称芸術理論」に辿り着き、才能についての劣等感もようやく解消されたのだが、しかし「私」を基盤とした芸術という根本的な世俗性からは脱することができなかったのである。


私の非人称芸術理論は人間の「信じる」と言う機能に由来いているが、この「信じる」と言う機能そのものが自明化しているために、学問として底が浅すぎて成立していない。

 

「信じる」とは何か?

私は「鰯の頭も信心から」の言葉通り、信じたものが何でも神になる、と言う自分自身の実際の経験を通して、これによって「神は遍在する」ことを確信したのであるが、その自分の「確信」とは一体何であるのか?

 

私が見出した「神」は客観的に判断するなら明らかな「勘違い」に過ぎないのだが、それは実際にきちんとした宗教書を読むことによって、次第に明らかになる。

 

また一方で私はダブルスタンダードを使っており、「信じればどんな料理も最高の味になる」とは言えないことを、経験的に知っていたのである。

私は料理については「自分の好み」を超えた普遍性によって美味い不味いを判断していたのに対し、芸術においては口では「非人称芸術」を称えながら、実際には「自分の好み」によってその良し悪しを選別していたのである。

 

私の美術の好みは何かと言えば、明け透けに言えば権威主義に反抗したキッチュなのである。

この反権威主義としてのキッチュへの嗜好が、私自身の認識や思考に対し、明白な「足枷」となったのである。


結局のところ「非人称芸術」を見出した私は芸術家としての「まともさ」から外れていて、その意味において病気なのであり、その場合はフロイト先生に倣って自己分析して自己治癒するしかない。  

このフロイト先生の精神分析も、アリストテレス先生のメソッドの応用なのである。
私の提唱した「非人称芸術」とはつまり時代現象としての「キッチュ」を私なりの言葉と概念に置き換えたものに過ぎなかった。

だからより普遍的に考えるならば、時代現象としてのキッチュについて考える必要がある。


キッチュと芸術とは異なる。これは客観的事実として理解できる。キッチュを下敷きとした芸術は存在するが、キッチュそのものは芸術ではない。しかし私はキッチュこそが芸術だと言い切り、その根拠として「非人称芸術理論」を構築したのであった。

 

問題は、私自身がどのようにしてキッチュを芸術して錯誤したのか?と言うその構造にある。この解明には、私個人を超えた社会現象としてのキッチュとは何か?を考察する必要がある。

曖昧とステイトメント

写真家を含むアーティストで、ステイトメントが書けなくて悩んでる人は、結局やろうとしていることが曖昧で不明確なのが原因なのかも知れません。
もちろんアートの場合、言葉に表した通りの作品を作っても、それもつまらないものになりますが、だからと言ってあいまいなまま作品を作れば良いというものではなく、何らかの方針や想いを明確化することは重要ではないかと思うのです。

人々がこれから実行しようとしていることの内容があいまいで不明確なばあいには、それをことばで言い表わそうとしてもできるものではない。これとは逆に、ひとたび決心して、実行すべきことを決定してしまうと、それにあてはまることばをさがすことなどたやすいことである。
マキャヴェッリ『政略論』

 

マキャヴェッリ『政略論』抜き書き

○戦うことを選ぶのが、きわめて勝ち目の少ない策のように思われるようなばあいでも、勝つ可能性は残されている。ところが退却のほうを選べば、どちらにころんだところで、その戦いは敗北にきまりきっている。#マキャヴェッリ 政略論

 

君主は、自分の威厳を損なう様な事は絶対してはならない。また、その君主がある事柄を維持していく能力も備えてているし、またその自信もあるような場合には、その事について相手に妥協したり、鷹揚に相手のなすがままに放っておいたりする事は、一切やってはならない。#マキャヴェッリ 政略論

弱い国家はつねに優柔不断である、決断に手間どることはつねに有害である。#マキャヴェッリ 政略論

私はものごとをあいまいにしておくということが国家活動にとって害毒を流すのであり、わがフィレンツェ共和国に災厄と屈辱を与えてきたことをいくどとなく思い知らされてきたのであった。#マキャヴェッリ 政略論

きわめてむずかしい問題で、しかも英断をもってこれを決定しなければならないときに、優柔不断な人物がこれを評議して決定をくだせば、かならずといってよいほどあいまいで役にたたない結論しかでてこないものである。#マキャヴェッリ 政略論

ラティウム人にくらべてローマ人の心をより戦争に耐えしのばせるようにしたものは、運にもよるだろうが、自分の息子を犠牲に供したトルクアトゥスや自殺をあえてしたデキウスの英雄的な精神力によるのである。#マキャヴェッリ 政略論

哲学と不可能視

ヴァンだ一成さんに「ヘヤーインディアン」の存在を教えてもらいましたが、検索すると下記のブログがありました。

 

ヘヤーインディアンの社会に学ぶ「同化教育」-感謝の心を育むには


驚くべき事に、ヘアーインディアンの言語には「教える」「教わる」という言葉そのものがなく、そのような意識も人々に存在しないのだそうです。
そのかわりヘアーインディアンの人は人が何かをやっているのを見よう見まねでやってみて、コピーするのだそうです。
ヘアーインディアンには「不可能視」が存在せず、つまり「他人に出来ることは、必ず自分にも出来る」と言う前提に立っている。
だから「自分にはわからないから誰かに教わる」という意識は全くなく、とにかく人真似をしながら何事もマスターしてしまう。
これは奇妙なことのようですが、しかし考えてみれば我々も「歩く」とか「しゃべる」と言った基本動作においては、子供は誰か大人に「教わる」と言うこともなく、見よう見まねでマスターしてゆきます。
そもそも人間は自分がどうやって足の筋肉を動かして歩いているのか?あるいは口や舌をどう動かして発音しているのか、人に教えられるように説明できたりはしません。
ですので人間の子供はそれを説明抜きで、見よう見まねで覚えるのですが、ヘヤーインディアンの場合はそれが大人になっても全般の動作において継続しているのですね。
これに対して「教える」「教わる」という意識の基底には「不可能視」というものがあって、つまり「分からないから教わる」「出来ないから教わる」という前提があり、そこには「教わっても分からないかもしれない」「教わっても出来ないがもしれない」という可能性も含まれているわけです。
とすると何が言えるのか?と言えば、以前の私は哲学の勉強をしようとして「哲学入門」をいろいろと読んでましたが、それは「教える」「教わる」という態度で「不可能視」が前提になっていたわけです。
ところが私はある時から方針をあらめて、入門書を読むのを一切やめて、哲学の原著翻訳を読む事にしたのです。
これはつまり哲学を「教わる」のではなく、「見よう見まねで読んでみる」という態度です。
その前提には「他の人が哲学書を読んでいるのだから、自分にも読めるはず」という新たな設定があったのです。
そうした転換をして分かったのは、哲学とは独特の「哲学的思考」であって、それは「歩く」や「しゃべる」と同じように「教える」「教わる」と言うことはできず、「見よう見まねでマスターする」しかないものだという事です。
もちろん、哲学を「教える」学校は元に存在しますし、「入門書」も昔からいろいろ販売されてますから、それでキチンと「教わる」ことができる、と言う人もいるだろうと思います。
なので、あくまでも私の場合は、と言う事に過ぎないのですが。

マキャベッリ『政略論』抜き書き

○人民というのは、自分に関連する事物を概括的に把握しようとするときに誤りを犯しやすいものであり、逆に個々の具体例に即して考えをすすめていきさえすれば、そんな誤りを犯すはずもないものなのである。#マキャヴェッリ 政略論

人間を迷夢からさまさせようとするには、当人に事物を概括的にとらえればあやまちを犯しやすいものだということを納得させて、個々の事物に即して把握するようにしむけたらよい。#マキャヴェッリ 政略論

人民というものは、大局の判断を必要とする問題には見通しのきかないものなのだが、個々の現象を自分の身にひきうつして考えるばあいには良識を示すものだと言える。#マキャヴェッリ 政略論

 

人民はうわべのりっぱさに幻惑されて自分の破滅を追い求めることになりやすい。したがって、彼らに大きな希望と思いきった約束を与えてやれば操縦は簡単である。#マキャヴェッリ 政略論

マキャベッリ『政略論』抜き書き

○人はけっして自分の心の奥底をさらけだしてはならないのであって、ありとあらゆる手段に訴えても自分の目的をかなえるように努力しなければならない。従って一人の男から武器をとりあげようとする時でもその男に前もって「とりあげたその武器でお前を殺してやるぞ」などと言うべきでないのは勿論である。けれども諸君がいったん自分の手に武器をひきよせてしまったら、その後では思いのままのことをやってのければいいのである。#マキャヴェッリ


一つの国家にあってなにが最悪の罪かといえば、法律をつくっておきながら、それを守らないということの右に出るものはないと私は思う。また法律をつくった当事者が、その法律を守ろうとしないのは最低だと考える。#マキャヴェッリ 政略論

人間はつぎからつぎへと野望を追求してやまないものである、はじめはわが身を守ることに汲々とした者がやがて他人に攻撃を加えるにいたる。

サルスティウスがその著書のなかで、カエサルをして語らしめている以下のことばが的を射たものであることも、同時に理解できるようになる。「どんな悪い実例とされているものでも、それがはじめられたそもそものきっかけはりっぱなものだった」#マキャヴェッリ 政略論

人間は、大局を判断するばあいは誤りを犯しやすいが、個々の問題ではまちがうことはない。#マキャヴェッリ 政略論

指導者を欠く大衆はなんの役にもたたない、これら烏合の衆をいきなりおどしてみたところではじまらない、むしろ徐々にこちらの主張を通すようにすればよい。#マキャヴェッリ 政略論