愛と知
西田幾多郎によると、愛することは知ることです。一般に愛というのは感情で、何かを調べて知識を蓄えることは理性だとされていますが、これらは本来的に合一であるのです。
例えばアニメオタクはアニメを愛するが故にアニメをよく知り、カメラオタクはカメラを愛するが故にカメラに詳しいのです。しかし彼らはその愛が一定範囲内に限られているため「オタク」と呼ばれるようになったのです。
オタクが持つ知識は対象物への愛情と一体であり、西田幾多郎的に言えばそれが本来の知識のあり方なのです。これに対し、愛情のない知識、感情と切り離された知識こそが「知識」だと思いなしている人がいるのです。
いや単に知識だけでなく知性の問題です。愛情は知性と合一であり、愛の感情が深まるほどに、知性もまた深遠なものとなるのです。いや深度だけでなく、愛がオタク的な狭い範囲から広範な対象へと広がるほどに、知性もより広範なものとなるのです。
西田幾多郎によれば、知識と切り離された純粋な愛情は概念でしかなく、愛情と切り離された知識は概念でしかありません。もし何の知識もなくその対象を愛する人がいるならば、その愛は空々しいものに感じられます。また何の愛情もなくその分野の知識だけを蓄える人の知識は無味乾燥でしかありません。
そして愛と合一の知を妨げるものは「自己愛」です。