アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

時間と偽装

サブカルチャーとは何か?と思ったら、本来の仏教に対する大乗仏教がサブ仏教だった。本来の文化に対する民衆のための文化がサブカルチャーであるなら、本来の仏教に対する民衆のための大乗仏教はサブ仏教なのである。 カルチャーとサブカルチャーの違いは何…

マキャヴェッリ『政略論』抜き書き

●全ての人間は邪なものであり、自由勝手に振舞う事のできる条件が整うと、すぐさま本来の邪悪な性格を存分に発揮してやろうと隙を伺うようになる。 ●彼らの邪悪さがしばらくの間影を潜めているとすれば、それは何かまだわかっていない理由によるのであって、…

戦争と思考

マキャヴェッリは、君主たる者は平和な時であっても常に戦争について考えねばならない、と説いているが、民主主義社会においては庶民がすなわち君主でもあるので、我々も平和な時代にあって戦争について常に考えねばならないのだが、実際にはそうなっていな…

感情と思考

マキャヴェッリの『君主論』を君主でもない一般人がなぜ読まなければならないのか?と言えば、現代日本は民主主義社会であり、文字通りに言えば人は誰でも庶民であると同時に君主なのであり、だから『君主論』や古代中国の帝王学である諸子百家などを読む必…

原理創出と宗教禁忌

交渉というものは、一つには相手の願望をよく理解し、それを実現させてやるように、ことを運ばなくてはならない。例えば、相手が仕事の達成よりも、自分のプライドの維持を優先しているのであれば、それをまず満たしてやることが重要となる。 つまり、仕事の…

マキャヴェッリ 君主論 抜き書き3

●大衆はつねに、外見いかんによって、また出来事の結果だけで評価してしまうものである。しかもこの世の中には大衆しかいないのであり、この大多数の者が腰を落ちつけている場所に、少数の者が割りこむ余地はないのである。 ●人は、必要に迫られて善人となっ…

マキャベッリ『君主論』抜き書き1

これにつけても、覚えておきたいのは、民衆というものは、頭を撫でるか、消してしまうか、そのどちらかにしなければならないことである。というのは、人はささいな侮辱に対しては復讐しようとするが、大きな侮辱に対しては復讐しえないからである。したがっ…

量と時間

マキャベリの「君主論」読んでるが、ここで言われる「力量」と「運」について、力量とは一つには翻訳の文字通り「量」であり、それは時間の量である。個人の知力は無限に増大させることは不可能で、それは「寿命」により制限されている。つまり知力の増大に…

ポスト科学と総合性

英語のscience(科学)の語源はラテン語のscientia(知識)であり、scientia(スキエンティア)はscio(スキオー=知る)の派生語である 。と言うことだが、scienceを科学と訳したのはそれがあらゆる事物を「科」に分けて捉える学問であるからで、名訳である…

共同体と裏切り

○嫉妬や羨望の感情はなぜ生じるのか?聖徳太子の十七条憲法に「人皆党有り、また達れる者は少なし」とあるが、人は皆グループを作りたがるが、その中で特に優れた者はいないのである。人が作るグループとは何か?と言えば、人間は多細胞動物であると同時に、…