アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

オルテガ『大衆の反逆』抜き書き

 

支配とは権威の正常な行使である。それはつねに世論に支えられているものでありこの事実は今日も一万年前も、イギリス人の場合もプッシュマンの場合も変わりないのである。いまだかつて、世論以外のものに支えられて支配を行なった者は地球上には一人もいないのである。#オルテガ

 

 

ところで往往にして世論が存在しない場合もありうる。一つの社会が意見を異にする集団に分裂していて、それぞれの意見が相殺されるような場合には、支配権が構成される余地はない。そして自然は真空を忌み嫌うものだから、その世論の力が不在がもたらす空白を凶暴な力が埋めることになる。#オルテガ

 

 

われわれは一つの公式に到達するわけだが、それはすでに周知の、尊重すべき、しかも真実をいいあてているあのきまり文句、つまり「世論に反して支配することはできない」なのである。#オルテガ

 

 

以上のことからわれわれは、支配とは一つの意見の、したがって一つの精神の優位を意味することであり、支配権力とはつまるところ精神力以外の何ものでもないということに
気づくのである。そして歴史的事実がこのことを明確に証明している。#オルテガ

 

 

したがって、これこれの時代にはこれこれの人間、これこれの民族あるいは同種の諸民族からなるこれこれの集団が支配したということは、これこれの時代の世界には、これこれの意見 すなわち思想、好み、願望、目的-の体系が支配的であったというに等しいのである。#オルテガ

 

 

ヨーロッパの中世においては、現実世界を支配したものは誰もいなかった。実は歴史上のすべての中世がそうであった。だからこそ、中世はつねに、比較的混乱の多い時代であり、比較的野蛮で意見の欠如した時代であったのである。#オルテガ

 

 

偉大な時代においては人類は意見によって生きており、したがってそこには秩序がある。中世の彼方にもわれわれは近代と同じように支配する者のいた時代を見出すことができる。その支配権の及ぶ範囲は世界の一部分に限られてはいたが、あの偉大なる支配者ローマがそれである。#オルテガ