アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

食べ物エッセイ アイスクリーム

さて、今月も柳川編集長の同人誌『無文芸』のために食べものエッセイを書かなければならないのだが、特にテーマを決めずにだらだら書く練習をしてみようと思う。

いや本当はセブンイレブンについて書こうと思っていたのだが、そう思ってセブンプレミアムのソフトクリーム(ワッフルコーンミルクバニラ)を食べてみたのだが、これは非常に美味い!と従来は思っていたのだが、しかし実は前日に、藤沢市の自宅付近にある「飯田牧場」のアイスミルク(ジェラード)を食べてしまっていて、これが実に驚異的な美味さで、それに比べるとセブンプレミアムのソフトクリームは味気なくまるで石膏を舐めているような感じがするのである。

しかしそれはあくまで比較の問題であって、飯田牧場のアイスミルクは牧場直販ならではの新鮮なミルクが原料で、そのミルクも素材の味を失わない低温殺菌(これは手間が掛かるらしい)されたもので、味の濃厚さと深みが全く別次元なのである。

飯田牧場のミルクも私は飲んだことがあるが、普通に紙パックで売られている成分調整され高温殺菌された牛乳とは全く別次元の美味さで、飯田牧場のアイスミルクはそのように根本から違っていてまさに「本物」なのである。

それに比べると、セブンプレミアムのソフトクリームはいかにもまがいものであって、まず圧倒的に「薄い」のであって、その薄さを補うために人工的な香り付けがされている、といった感じがする。

それはもう、商品としての性質が異なるので、単純に味だけで比較するのは酷なのだが、あくまでセブンイレブンの商品は大量生産品で、全く同一のソフトクリームを日本全国の末端の店舗まで行き渡らせなければならないのである。

ソフトクリームや牛乳に限らず、コンビニの食品は大量生産品であり、流通品であるから、そうで無い物に比べて味が変わる(落ちる)のは当たり前である。どれだけ家庭料理が美味しく作れても、同じ料理を何千食、何万食も生産するには材料調達や調理や盛りつけのシステムから考えなければならないし、またいかにコストを抑えて儲けを出すかを考える必要があるし、全国の末端まで腐らせることなく流通させる必要があるわけで、単純に「味にこだわる」事以上に重大な事柄が複雑に絡んでくるのである。

そうした条件のコンビニの食品の中で、セブンイレブンだけはほかのコンビニとは明らかにちがって「美味い!」と感じさせるものがあって、それでソフトクリームもセブンイレブンのものをたびたび食べていたのだった。

しかし量産や流通を考えていない「本物」と比べると味が落ちるのであるが、そうなるとほかのコンビニはどうなのか?と言うことでファミリーマートのソフトクリーム(ファミリーマートコレクション・ワッフルコーン北海道ミルクバニラ)を食べてみたのであるが、初めの一口はセブンイプレミアムとそんなに変わらないかな?という感じなのだが、食べ進む度にどんどん不味くなって、何と言うか殺伐とした味になってくる。

何と言うのか「人を騙そう」という精神が見え見えの悪質な味で、食に対しての真心や良心といったものが一辺も感じられない。

まさに売らんがための量産品に過ぎない。これと似ているのがマクドナルドのソフトクリームで、100円で安いのは良いのだが、食べても食べた気がしないというか、何の栄養にもならないビニールか何かを食べているような気になってくる。

ファミリーマートコレクションのソフトクリームは200円近くで値段が高いぶん少しましなようだが、しかし味の傾向としては同じように思えてしまう。コーンの質も悪くて、壁土かおがくずを食べているような気になってくる。

それに比べるとセブンプレミアムのソフトクリームはましで、基本的には量産品であっても一片の良心と格の高さを備えている。この「格の高さ」というのは結構重要で、特に高級店でなくとも美味しい料理はそれなりのプライドを持って、つまり格を張って作られいる。

思えば私の母親もプライドの高い人でそれが料理の味にも表れている。私の妹も母親に退行するかの如くプライドが高く、母親とは全く違う料理を作るのだが、感心するほど美味いのである。

またつい先日は、仕事でご一緒した方の奥様の家庭料理をごちそうになったのだが、これがまた非常に美味しくて、私の手料理よりも明らかにレベルが上で、何よりも上品で格が高い。そのように料理にプライドを持つ主婦は高い格を張っているのだとあらためて実感した次第である。

それに比べて、また最近はとある自然食品カフェでランチを食べたのだが、玄米に自然農法によるお肉と野菜を素材にしたおかずが付いた定食が、これが実は美味しくなくて、別の意味で驚いてしまうのだ。

いや特に不味いわけでは無いのだが、自然農法の素材を使っているからその分美味しいはずなのだが、しかしそうではないのである。なんというか、素材特有の味がしないし、味の音量のボリュームが低い感じがする。

そもそも「美味しい!」と思えるものは、味にメリハリがあって、そのメリハリというのがそれぞれの素材の固有性であって、それを活かして調理する人の「格」となって現れている。

自然農法素材を売りにしたお店というのは、たいていどこも大して美味しくないのだが、その理由の一つはそうした店は「素朴さ」が売りであって、格を張っていないからではないか?

そもそも自然で素朴な人は「自然」そのものを対象化しないので、その味を活かして料理する、と言うことはできないのではないか?対象化しない、理解しない、ということはつまり概念的に理解すると言うことで、例えば「玄米ご飯」「野菜の煮物」という言葉だけで料理を理解し、その通りのものを(具体的な素材それぞれの味を捨象して)作るのである。

その結果、確かに自然農法の素材を使ってはいるけれども、「自然農法」という言葉で指し示される概念以外の要素がゴッソリ抜け落ちた、味気ない料理が出来上がるのである。そもそも世の中に流通している食品は、食品の内実のない「情報」として流通し、消費されている。ファミリーマートのソフトクリームも、概念的にはソフトクリームの形をしているから、その味にどれだけ内実がなかったとして、「ソフトクリームを食べている」という情報によって消費者に満足感を与えるのである。

それに比べて、飯田牧場のアイスミルクは内実がぎっしり詰まった固有の美味しさがあり、その圧倒的な固有性、具体性によって「アイスミルクを食べている」という情報性は希薄となり、自分は一体何を食べているのかが解らなくなってくるのである。

加えて、飯田牧場の牛乳は一般的には自然食品だが、実際に畜産も農業も文明の産物であり人工物であり、実際に飯田牧場の牛乳はブラウンスイス、ジャージー、ホルスタインという三種がブレンドされ、時間と手間が掛かる低温殺菌がされて、極めて人工的である。

またそれぞれの品種の乳牛も、長い歴史を掛けて品種改良が重ねられた人工物なのであり、それぞれの素材の特徴を冷静に理解してコントロールしてこそ、内実のある美味しいミルクアイスが出来上がるのである。