アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2015-01-01から1年間の記事一覧

忘却と拘束

人は忘れ去ったものに縛られます。忘却が人を拘束します。忘れ去ったものを思い出す事で自由が得られます。忘れ去ったものを思い出すには痛みが伴い、自由を得るには痛みが伴います。

才能論と分からないこと

才能論は、なかなか克服し難いものがあって、克服したと思っても、実際には克服できていないのが才能論なのです。実のところ才能論は100%否定しきれるものではなく、ですから「才能論は100%否定され得る」と言う理念に囚われる事は、才能論に囚われる事と同…

人は一人しかいない

英雄とは彼の父親に向かって勇気を持って反抗して立ち上がり最後には父親に圧倒的な勝利を収めた者である。フロイト「モーセと一神教」 フロイト最後の著作と言われる『モーセと一神教』読んでますが、もしかして人間て「一人」しかいないのでしょうか⁈ そう…

現象と好き嫌い

理想と現実とのギャップ、そこに現象学的世界が立ち現れます。 現象は、理想と現実のギャップとして立ち現れます。 素人の目と専門家の目は異なります。素人の耳と専門家の耳、素人の舌と専門家の舌も違います。素人と玄人では一つには経験の量が異なり、見…

芸術と民主主義

どうも自分は「思い込みが激しい」と反省させられますが、考えてみると私は岡本太郎から赤瀬川原平という「思い込みが激しい」アーティストの系譜なので仕方ありません。いやそもそも、モダンアートと言うものが「思い込みの激しさ」で成立していた側面があ…

「使徒行伝」抜き書き

彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。 使徒行伝 11:26 すると、突然、主の使がそばに立ち、光が…

神と誰か人間

どうしてあなたは自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き地所の代金をごまかしたのか。売らずに残しておけばあなたのものであり、売ってしまってもあなたの自由になったはずではないか。どうしてこんなことをする気になったのか。あなたは人を欺いたのでは…

追求と主張

哲学とは真実の主張ではなく、真実の追求です。ソクラテスが示した通りです。真実の追求こそが善であり、それをしない事自体が悪です。善とは知性であり、悪を行う者はその意味で知性が足りないのです。世の中になぜこれほどまでに悪が蔓延るのか?それだけ…

大人と皮肉

子供に皮肉は通じません。皮肉がわかるようになったらもう大人です。大人なのにもかかわらず、皮肉が通じない相手を嘆く必要はありません。皮肉がわからない大人には、子供に対するように接すれば良いのです。

政治家と庶民

なぜいつの時代も、政治家が悪で庶民は善良なのか?なぜ政治家が間違っていて、庶民が正しいのか?実に不思議でしたが答えがわかれば簡単です。世間の人は政治家を攻撃するばかりで、自分たちに何か悪いところがあるなどと夢にも思わず、決して反省しないの…

貨幣と複製技術

貨幣は量産品、複製技術の産物、最古の複製技術とは貨幣でしょうか⁈

上昇と足がかり

上に登るには階段のような足がかりが必要です。足がかりがない人は、どれだけ足を動かそうとも、同じ場所をぐるぐる回りするほかないのです

第87回彦坂ITOSAKI塾 7月18日(土)のお知らせ

第87回彦坂ITOSAKI塾 7月18日(土) *彦坂尚嘉塾長のブログ記事からの転載です。 【ニュース】 ●味覚鑑賞会 第17回 かまぼこ です。 ●塾生の作品が出ているネット・ショップができてきています。 http://kitai3000.theshop.jp/ きたいぶんしギャラリー3000

前衛と取り違え

前衛と原始が取り違えられることがあるのです。どちらも近代の否定であり、故に前衛をやっているつもりで、その実原始的なものに回帰しているという、取り違えが生じるのです。反省すると、私の「非人称芸術」もこれと無関係ではありません。 「前衛」とされ…

7月15日国会正門前行動

国会議事堂正門前で行われたデモの様子を、LYTRO ILLUMという特殊デジカメで撮影しました。 表示された写真をクリックすると、ピント位置が変わります。

匿名彫刻と非人称芸術

ふと、写真家のベッヒャー夫妻について調べたら「anonyme skulpturen」という写真集があり、文字通りの意味だとこれは私の非人称芸術とほぼ同じで、恥ずかしながら知りませんでした。 http://linkis.com/baumanrarebooks.com/XBByy 私はベッヒャーの写真は知…

「学校」マルセル・デュシャン

<芸術家は大学に行くべきか>画家のようにばかフランスのこの諺は、少なくともミュルジェールのボヘミアン生活の時代まで、1889年前後に遡り、議論のなかで冗談として用いられます。なぜ<芸術家>は世間の皆さんに比べ知的に劣るものと見なさなければならな…

評価と公平

新約聖書を再読してますが「公平とは何か?」と言うことがたびたび示されています。 例えばマタイ書でイエスが示された「ぶどう園で一日中働いた労働者と、一時間だけ働いた労働者の賃金が同じ」と言う喩え話があります。 つまりキリスト教では、他人より多…

現象学と印象学

印象派の画集を見ながら、ふと「現象学」に対して「印象学」と言うのを考えてみたのですが、「印象」を辞書で引くと、下記のようにありました。 1 人間の心に対象が与える直接的な感じ。また、強く感じて忘れられないこと。2 美学で、対象が人間の精神に直…

イズムとデマゴギー

実は、あらゆる「イズム」は無意味なのではないでしょうか?ブッダもキリストも、人が自ら独自の見解を持ち互いに議論し合うことを戒めているのです。20世紀美術は「イズム」の時代で、それで私も「非人称芸術」を提唱したのですが、20世紀のその方法論が間…

「人を見る目」と信仰

信仰とは何でしょうか?信仰とは一つには「人を見る目」です。「人を見る目」のない人、あるいは「人を見る目」を養おうとしない人は、信仰するに値しない人を信仰し、あまつさえ自分で自分を信仰します。 「人を見る目」がない人は、言語の恣意性に縛られま…

エキスパートエラー

『人は皆「自分だけは死なない」と思っている -防災オンチの日本人』という本を読んでいます。http://www.amazon.co.jp/dp/4796645187 人は一人でいると神の声を聞き、大勢でいると他人の声を聞く。つまり一人でいるときは自分の直感に基づき行動し、大勢で…

始原性と関係性

昔一度読んだきりの新約聖書を改めて読んでますが、キリストは非常に過激な人物で、現在の感覚に照らしても常識に反する事をことごとく言い放つのでドキリとするし、刺激的で面白いです。 現代において聖書を読む意味はなんでしょう?聖書を読めばたちまちキ…

アドルフ・ヒトラーと糸崎公朗

ヒトラーが若かりし頃に描いた絵が競売に掛けられ話題になってますが、あらためて見ると凡庸な写実画で、つまり彼はモダンアートが理解できずその意味で「普通の人」だったのです。そして普通の人の普通の理想を過激に追求したのが、ヒトラーの成した事だと…

原則と原理

何かを表面的に模倣する人は、原則を立て、原則に縛られ、原則からはみ出る事がありません。何かを模倣する人はその原理を知らず、原理の代用に原則を立て、これを守るのです。オリジナルを知る人は原理を知り、原理に従い、時として模倣者の原則を蔑ろにし…

ラカン抜き書き

心理はまさにパロールはそれが嘘であっても心理に呼びかけ心理を引き起こすという事実にのみ基づいています。#ラカン 精神分析の四基本概念 デカルト的確信の主体を私が導入した時私はデカルトにおいて重要な天秤棒の役割をしてあるものを指摘しました。つま…

通俗とコンプレックス

自分のイデオロギーに縛られていると、新しい知識や感覚を取り入れる事ができなくなります。イデオロギーには人を縛る力があります。現象学的判断停止とは、イデオロギーからの開放でもあるのです。 自分の外に出なければ「自分とは何か?」は分からないし、…

イデオロギーと錬金術

構造主義の「構造」はイデオロギーではありません。にも関わらず、これを取り違えている人が存在します。本来的に「構造」は「現象」の一つであり、現象に対する観察と調査によって、現象の内から取り出されます。そして、イデオロギーとは錬金術です。 イデ…

認識と関係

認識とは関係の認識です。関係の認識とは自分という特殊存在と、絶対的基準との関係です。絶対的基準は定規や測りのように現象として存在します。

第73回彦坂ITOSAKI塾 5月30日(土)

第73回彦坂ITOSAKI塾 5月30日(土) 【ニュース】 ●村上隆の『芸術起業論』をやります。 ●ポストモダンのアーティスト『村上隆』の作品について ●ノイズ音楽鑑賞会 ジャパノイズ:非常階段について 【塾の紹介】は、一番後ろにあります。 ««««««««««««««««««…