アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2015-01-01から1年間の記事一覧

創造と破壊

保守的な人から見ると、創造的な人は物を壊しているようにしか思えず、通俗的な人から見ると、創造的な人はデタラメを言っているようにしか思えないのです。 一方で、ものを壊しているだけの人や、デタラメを言っているだけのが創造的だとみなされる事があり…

哲学と適応

フッサール『現象学の理念』取りあえず読み終えました。確認すると私はこの本を2011年8月に買って、途中まで読んで内容が全く理解できず断念してます。今回あらためて読んでみると、ちゃんと理解できてるかはともかく、全く理解できずチンプンカンプンと言う…

自然主義と現象学

「自分の気持ち」と「他人の気持ち」は自然主義的には別個のものですが、現象学的には「現象」として同一なのです。 例えば「リンゴとジャガイモという別種のものを天秤にかけ重量を比較するのはナンセンスだ」と考えるのが自然主義です。しかし5キロのリン…

距離と認識

人が神の被造物なのだとすれば、人は神から離れる事によって「人」になる事ができます。つまり、神の被造物のままの人は、自分が神の被造物である事を知らず、神の存在を知りません。神から離れ、神の存在を対象化して認識し、自分が神の被造物である事を知…

芸術と希少性

芸術は誰が創るのでしょうか?「神が芸術を創る」という考えを私は採用することができません。なぜなら、芸術が神によって創られるのであれば、それは「才能論」であり、才能論を私は方法論的に捨て去ることにしたからです。 「神が与えた才能により、芸術は…

偽物と感動

芸術は観る人に感動をもたらします。では自分が感動したものが芸術なのでしょうか?自分が感動したということが、それが芸術であることの証拠になるのでしょうか? 有体に言えば、人は経験を積みながら「芸術とは何か?」を認識してゆきます。ですから経験の…

現象と還元

他者とは実在ではなく現象です。だから怖がることはないのです。 目の前の他者が怒っている時、実在する他者が現実に怒っているのではなく、目の前他者が怒っていて、それがあたかも実在してるように私に感じられる、という現象が生じているのです。 目の前…

第70回彦坂ITOSAKI塾 5月16日(土)

第70回彦坂ITOSAKI塾 - 彦坂ITOSAKI塾

才能論と弊害

私の「非人称芸術」が明確に間違えていたのは、それが才能論を根拠にしていた点です。芸術とは何か?を天才による作品だと定義し、その上に非人称芸術の定義が組み立てられている、これは明らかに土台が間違っています。 私の陥った才能論は、さらに二重化し…

第69回 藤沢 彦坂ITOSAKI塾 5月14日(木)

第69回 藤沢 5月14日彦坂ITOSAKI塾 - 彦坂ITOSAKI塾 5月14日(木) 時間 14:00~16:00 第5回「《文明》の作品の作り方、《野蛮》な作品の作り方」(全10回)講師:彦坂尚嘉

才能と天才

いろいろあって忘れてしまっていたのですが、「非人称芸術」の根拠というのを思い出したので、あらためて書き留めてみますが、 1:神は遍在する(遍く在る)。 2:故に、それが何であれ、自分が「神だ」と思ったものが、「神」として認識世界に立ち現れる…

芸術と芸術でないもの

あらゆる自然科学はその出発点に関して言えば素朴である。自然科学が探求しようとする自然は自然科学にとって単純にそこに存在する。#フッサール 厳密な学としての哲学 心理学はこのように心的物的な自然連関のうちに自明的に存在している心的なものをその自…

整合性と閉鎖系

思い出しましたが「誤解による創造」も非人称芸術の根拠の一つでした。芸術ではないものを芸術と誤解する事で、新たな芸術が創造される…それは神ではないものを神と誤解する事で、神を顕現させると言う、私の宗教的直観と連動していたのでした。イワシの頭も…

『第60回 彦坂ITOSAKI塾』5月9日(土)のお知らせ

『第60回 彦坂ITOSAKI塾』は5月9日(土)に開催します。朝10時から、個人レッスンです。芸術と時代、そして《準-文明》の関係を問題にします。5月9日(土)は、東京国立博物館で『鳥獣戯画 —京都 高山寺の至宝—』を鑑賞します。14:00に東京国立博物館会場内の…

フッサール抜き書き

日常の実際生活は素朴である。我々は、日常の生活においては、既に与えられている世界の中に入って経験したり、行為したりしている。事物を単純にそこに存在させるのは、経験の思考的能作であるが、日常生活においてはそれらの思考的能作は、知られないまま…

人間とリアクション

人は現象に対しリアクションします。人を現象に対するリアクションに還元することができます。人間とはリアクションそのものです。 例えば、目の前の人が怒っているように見える時、その人は自分の認識世界に生じた現象に対しリアクションしているのです。自…

哲学と芸術

フッサール『デカルト的省察』やっと読み終えました。もちろん、内容をちゃんと理解できたとは到底言えないですが、ともかく中央公論社 『世界の名著62 ブレンターノ フッサール』に収録されたブレンターノ『道徳の源泉について』、フッサール『厳密な学とし…

自分の好みと歪んだ他人

物の価値判断には「自分の好み」と「客観的基準」との二種類があります。しかし「自分の好み」には必然的に「客観的基準」が含まれているのです。なぜなら自分が何を好きか?何に価値を見出すか?を人は他者から教えられるからです。例えば子供は親から何が…

リアクションと乱反射

自分に対する他者のリアクションは乱反射です。完全なる反射は、まさに鏡がそうであるように、自分の姿そのものです。他者は完全な鏡ではないが故に、私のアクションに対し乱反射し、私の予想を超えたリアクションをするのです。 デカルトの「我思う故に我あ…

照射と反射

認識には「照射光的認識」と「反射光的認識」があるのでしょうか?つまり「私はこう思う」といういわゆる主観が照射光的認識で、これに対し「いや私は違うと思う」という他者の見解が反射光的認識です。それは現象学的には、どちらも「私の認識」です。 主観…

他者と恨み

時間や空間も「他者」と共同して作られます。時間も空間も、「自分」との関係において、他者が所有しているのです。時間や空間は認識の形式でもあります。認識とは、自分が他者を認識するのです。自分の目の中で他者が動き、時間や空間が生じます。 私の問題…

装置と他人

自分には、環境世界を自動的に構成する装置が搭載されています。それは他の動物に搭載されていない装置だからこそ、「装着」として対象化されます。そしてその装置は自動的に作動するからこそ、非自動的な自覚的作用によって、認識されるのです。 装置は装置…

認識と自明

自分の中に「自分」は少なくとも2人います。それは自分の環世界を構成する「自分」と、構成された環世界に生きる「自分」です。「環世界に生きる自分」は経験し、「環世界を構成する自分」は経験に先立っています。言い換えるなら「自明を構成する自分」と「…

第58回彦坂ITOSAKI塾 4月25日(土)のお知らせ

第58回彦坂ITOSAKI塾 4月25日(土)のお知らせ 詳しくは彦坂尚嘉塾長のブログ記事をご覧下さい。http://41jigen.blog12.fc2.com/blog-entry-1207.htmlみなさんの参加をお待ちしております。 ««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««««…

現象と執着

生きるためには技術が必要です。あらゆる事物を「現象」と観じるのも技術の一つです。この技術によって、事物からダイレクトに影響を受けることなく、ワンクッション置いた対応が可能になります。そもそも人が世界を捉える仕方が、いかなる方法であれそれは…

通俗と哲学

中島義道先生の本は最初の入門書『哲学の教科書』から随分たくさん読んで、一時期入れ込んでましたが、今あらためて下記の記事を読んで分かることは、ビックリするほど通俗だということです。http://linkis.com/toyokeizai.net/artic/cEeSO 中島義道先生が専…

生まれる前と死んだ後

私が「唯一の私」であるのは、私が「沢山の人間のうちの一人」であるのがその理由です。私が「沢山の人間のうちの一人」であるからこそ、私は「唯一の私」であり得るのです。 他者がいなければ私は存在しません。集合論的に、私は「私ではないものに」支えら…

自分の顔と他人の心

自分だけが「自分の心」を直接的に認識できますが、「自分の顔」だけは自分からは直接見えず、他人に向けてだけ公開されています。「他人の心」はその本人以外誰も直接認識できませんが「他人の顔」はその本人以外の、万人に向けて公開されています。 人は、…

第57回彦坂ITOSAKI塾 4月18日(土)のお知らせ

第57回彦坂ITOSAKI塾 2015/04/14(Tue)02:22 第57回彦坂ITOSAKI塾4月18日(土)【ニュース】●《個人のための芸術分析ワークショップ》5-2です。芸術鑑賞能力テストを実施。●新・人類史700万年初級入門講座●味覚鑑賞会 ソーセージ【塾の紹介】は、一番後ろ…

他者と変容態

構成の見地から言えば、動物に対して人間は、正常の場合を現す。それはちょうど、構成の見地から言って私自身が全ての人間に対する原型であるのと同様である。従って動物は本質的に私に対して、私の人間性の異常な変容態として構成される。 フッサール『デカ…