アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2015-01-01から1年間の記事一覧

改造と人間

改造人間! 改造人間! 改造人間! 改造人間! いやその、自分で自分を改造しないといけないので、イメージトレーニングです(笑) 私の特技はカメラ改造ですが、これの応用で自分も改造しないといけません。 なぜカメラを改造するのか?それは撮影の領域を…

アリストテレス『形而上学』抜き書き

●もし個々の事物より他には何ものも存在しないとすれば、何らの思惟の対象も存在せず、存在するも全ては感覚の対象のみであり、従ってなにものの認識も無いという事になろう。 ●いやしくもある人の言うように、感覚が認識であるというので無いならば、なおま…

『彦坂尚嘉+A.A.C.L. のノイズ音楽会』に出演します

今週土曜日、私もこのライブに「演奏者」として参加します! 楽器は自作の「ウォーターリコーダー」と、壊れたアコーディオン(笑)で演奏します。写真家なのになぜ演奏するのか?と言えば、「ウォーターリコーダー」は私が美大時代に課題で作ったものの再製…

ものと他者

私の作品「フォトモ」には他者の不在が現れています。他者と向き合う事からの逃避がフォトモには現れている。だから子供からお年寄りまで様々な観客の目を引き寄せるのです。 フォトモとは一面は模型です。模型とは何か?レヴィ=ストロースによると縮小模型…

非人称と他者

私が言う「非人称芸術」の、「非人称」とは何でしょうか?それは実に自己愛の変形ではなかったでしょうか?つまり私は自己の才能に挫折し、自己が愛せない。しかし自分より優れた「他者」を愛そうとせず「非人称」を愛することにしたのです。「非人称」とは…

官能と消費

アリストテレス先生に学んでつくづく分かったのは、私は歩むべき道を間違えていたことです。つまり「路上」をひたすら歩いていたことは間違いでした。どれだけ「路上」をこうともほとんど何も蓄積されないからです。蓄積のない行為は消費です。「路上」を歩…

アリストテレス『形而上学』抜き書き

すべての人間は生まれつき知ることを欲する。その証拠としては感官知覚〔感覚〕への愛好があげられる。というのは感覚はその効用抜きにしてもすでに感覚することそれ自らの故にさえ愛好されるものだからである。#アリストテレス 形而上学1-1 しかし殊にその…

越権と気後れ

アリストテレスは人間は自然性において奴隷的であり、この奴隷性から解放された暇において哲学がなし得ると指摘しています。そして、奴隷性から完全に解放され究極の暇を手に入れた状態とは神の領域であるから、哲学とは本来的に神への越権行為だと説いてい…

アリストテレス『形而上学』抜き書き

我々が求めているもの「知恵」の名前はまさにこの同じ学に与えられる。即ちそれは第一の原理を研究する理論的な学であらねばならない。というのは善といい目的というのも原因の一種だからである。#アリストテレス 形而上学 ところで、この知恵は制作的(ポイ…

アリストテレス『形而上学』抜き書き

感覚的に知ることは、すべての者に共通した事であり、従って容易な事であって、少しも知恵ありとするにあたらない。#アリストテレス 形而上学1-1 知者は他から命令される者たるべきではなくて命令する者たるべきであり、彼が他の者に服従すべきではなくて逆…

感動と理論

アリストテレスは感覚は一つの知識ではあっても「なにゆえに」を伝えることはないと説いています。つまり芸術に対する感動は、なにゆえにその芸術が人を感動させるか?を伝えず、むしろ感動は芸術の理論を覆い隠す、ゆえに芸術の生産者は自らの感動(感覚)…

アリストテレス『形而上学』抜き書き

蓋し「経験は技術を作ったが無経験は偶運を」とポロスの言っている通りである。#アリストテレス 形而上学1-1 経験は個々の事柄についての知識であり、技術(理論)は普遍についてであるが、行為(実践)や生成(生産)はすべてまさに個々特殊の事柄に関する…

スタンドと能力

この近代人の闘士(シャルルペロー)は、法則の数か多ければ多いほど、時代及びそれを代表する芸術家は進歩していると主張していたようだ。#モダンの五つの顔 権威こそ…神学においても重要なものである。なぜならそれは真理と切り離せないからだ。そして我々…

美術と片手落ち

私は食べ物については好き嫌いがなく、例え自分の口に合わなくとも、それを美味いと言う他人がいれば「自分の舌が未熟なのかも?」と疑うことはできるのです。ところが美術についてはそうではなく、全く片手落ちと言うほかありません。 新旧論争自体はシャル…

階級とセンス

詩人や昔楽家や画家は空想を喜び幻想を好み、大づかみにいえば彼等は等しく精神的放浪者なのである。 何故かというに、空想や幻想の中には一定の目的がなく、その現実から遊離した世界の中でこそ、芸術家は精神上のプロムナード若しくはバガポンダージュを成…

圧迫と気晴らし

努力とは時間の言い換えでもあります。努力を必要としないものは即効性があるのです。そして、努力の代替物としての、努力とは異なる種類の時間が存在します。越後妻有トリエンナーレの作品がなぜかくも散在しているのか?その理由がそれでは無いでしょうか…

上級と下級

日本人は同一情報をできるだけ多くの人と共有したいという欲望を持ちます。日本人には人間の細胞化への欲望があります。社会にとって個々の人間は細胞的な側面がありますが、日本人にはそれが強いのです。そして、人は情報によって、情報の共有によって細胞…

歴史と遠近法

自分の好みに囚われている人は、それによって視界が遮られ、遠近法が狂わされています。 歴史とは遠近法です。幼児にとっては昔から存在する古いものも、最近登場した新しいものも、あらゆるものが「自分にとって新しいもの」として均等に存在します。それは…

嘘と方便

人がいかに恐怖心を持っているか、これが『法華経』では強調されてます。優れたものに対し人は恐怖心を抱き、近づこうとするだけですぐ逃げてしまいます。だから始めは嘘をついて誤魔化しながら、徐々に慣れさせていけば良いと法華経には説かれています。法…

芸術と恐怖心

実に、恐怖症が問題でした。 多くの日本人は哲学恐怖症で、宗教恐怖症で、芸術恐怖症なのです。ですので、出来るだけそれらに近付かないようにし、近付かないためにそれらについて悪口を言うのです。 しかし私の場合は、最近になって哲学恐怖症と、宗教恐怖…

死と想起

以前から常識になっている事だが、生まれてから5年間の経験は人生に決定的な影響を与え、その後の経験はこれに抵抗することなどできない。この人生の初期における諸印象が成熟してからの人生期のすべての影響に抗して、いかに己の存在を主張し続けるか…#フロ…

料理と善意

自分の好み、趣味性は恣意性を基盤にしています。例えば私にはカメラ趣味があって車趣味はないのですが、なぜそうなのか?は恣意的にそうなってしまったとしか言い様がありません。 一方で、私は食べ物に関しては、基本的には好き嫌いがありません。つまり食…

恣意性の超越

恣意性の超越!「鰯の頭も信心から」と言われるとおり、人は恣意性に縛られます。つまり、必然性のない原因により、結果として縛られるのです。このような恣意性から逃れるには「人を見る目」を養うことが重要です。 恣意性から逃れるには「人を見る目」を養…

辺境と情報

一般に辺境文化はそれが属する文化圏の中心からの情報を求める。(中略)同国人よりも外国人が劣るとする観念はこのように世界的だが縄文時代以前から北西及び西南の方向からの移住者の波が反復して押し寄せた島国日本では逆に外国人を尊敬する観念が形成さ…

嫉妬と正しさ

人間は嫉妬深い! 私も例外ではなく嫉妬深のです(笑)人間の嫉妬深さを克服するには、二つの「正しさ」を認める事が、その一つの方法です。 即ち大乗仏教的正しさと、小乗仏教的正しさの違いです。 その相容れない異なる種類「正しさ」の、そのどちらもが「…

冗談とリテラシー

人はなぜ冗談を言うのでしょうか?冗談が通じない人は人殺しだからです。ナンチャッテ\(^o^)/ 冗談が通じない人は人殺しです。いやそれは言い過ぎだとしても、冗談が通じない人はある意味で人殺し予備軍です。ですからアメリカの戦争映画を見ると、兵士は…

フロイト『モーセと一神教』抜き書き

この掟(引用者注:偶像崇拝禁止)は、抽象的と称すべき観念を前にしての感官的知覚蔑視を、感覚性を超越する精神性の勝利を、厳密に言うならば心理学的に必然的な結果のしての欲動の断念を、意味していた。#フロイト モーセと一神教 精神性におけるこのよう…

常識とダイナミズム

フロイト『モーセと一神教』読んでますが、改めて思うのは、学問は非常識的でぶっ飛んでる!と言うことです。別な言い方をすれば、学問は分野を横断するダイナミズムを有しています。常識はダイナミズムを欠いているが為に常識と言われるのです。 幼年時代に…

学問と好み

『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』でフッサールが指摘したのは「哲学をはじめとするヨーロッパの学問が学問になってない!」と言うことでしたが、そうであればヨーロッパのモダンアートも学問ではなく、アメリカ美術も厳密に学問であるのか疑わしく…

ラカン抜き書き

患者の症状は患者に何らかの満足をもたらしてくれるようにできているのです。 #ラカン 精神分析の四基本概念 我々が最大限直面しているのは患者の主張のすべての深い両義性です。何しろ患者の主張はそれ自体二面性を持っていますから。#ラカン 精神分析の四…