敗戦と日本人

極端と中庸。岡本太郎の芸術論も、赤瀬川源平の超芸術トマソンも、私の非人称芸術も「極端」であり、特定の時代と地域に根ざして偏向しており、普遍性がない。これに対して中庸とは特定の時代や地域を越えた普遍性であり、一般性である。 そこで岡本太郎の芸…

学問と一般化

反省とは何かと言えば、一つには自己を「一般化」して捉える事である。人間の自然な感情においては、自己は多くの他者たちと違う特別な何かのように実感されるが、自己をそのような例外としてではなく、多くの他者たちと立ち並ぶように一般化して捉えようと…

デカルトとアリストテレス

適切な呼称かどうか不明だが「幕の内弁当理論」と言えるようなものがあって、例えばデカルト『方法序説』後半にあった、心臓の仕組みについての論文がそれに当たる。 デカルトはその当時科学的に解明されていなかった人体の血液循環の仕組みについて「熱膨張…

曖昧とステイトメント

写真家を含むアーティストで、ステイトメントが書けなくて悩んでる人は、結局やろうとしていることが曖昧で不明確なのが原因なのかも知れません。もちろんアートの場合、言葉に表した通りの作品を作っても、それもつまらないものになりますが、だからと言っ…

マキャヴェッリ『政略論』抜き書き

○戦うことを選ぶのが、きわめて勝ち目の少ない策のように思われるようなばあいでも、勝つ可能性は残されている。ところが退却のほうを選べば、どちらにころんだところで、その戦いは敗北にきまりきっている。#マキャヴェッリ 政略論 ○君主は、自分の威厳を損…

哲学と不可能視

ヴァンだ一成さんに「ヘヤーインディアン」の存在を教えてもらいましたが、検索すると下記のブログがありました。 ヘヤーインディアンの社会に学ぶ「同化教育」-感謝の心を育むには 驚くべき事に、ヘアーインディアンの言語には「教える」「教わる」という言…

マキャベッリ『政略論』抜き書き

○人民というのは、自分に関連する事物を概括的に把握しようとするときに誤りを犯しやすいものであり、逆に個々の具体例に即して考えをすすめていきさえすれば、そんな誤りを犯すはずもないものなのである。#マキャヴェッリ 政略論 ○人間を迷夢からさまさせよ…

マキャベッリ『政略論』抜き書き

○人はけっして自分の心の奥底をさらけだしてはならないのであって、ありとあらゆる手段に訴えても自分の目的をかなえるように努力しなければならない。従って一人の男から武器をとりあげようとする時でもその男に前もって「とりあげたその武器でお前を殺して…

子供と絵画教育

『幼児の絵の見方』岡田清著1967年創元社刊、と言う古い本をたまたま読んだのだが、実に興味深い内容で、特に冒頭の主張は岡本太郎『今日の芸術』にそっくりなのである。 https://www.amazon.co.jp/dp/4422710028 『子供の絵の見方』(1967)冒頭の「子供の絵…

猜疑心と嫉妬心

マキャヴェッリによると、人間の元来の性質として猜疑心と嫉妬心が強い。故に例えば将軍が国のために命をかけて戦って勝利しても、その将軍に満足な褒美を与えないどころか追放してしまうような例が、歴史的に度々見られる。 王は国のために立派な働きをした…

闘争とクリエイティビティ

闘争からクリエイティビティが生じる。闘争が大規模化することはクリエイティビティが大規模化する事と同意であり、それが近代だと言える。闘争を避けるためにはクリエイティビティを低下させるのが一つの方法であり、それが現代日本の写真を含むアートの状…

2008年と2017年

7月9日 うっちぃ@この世すべての強欲(志望)@YinfinitY 「構造主義」を誤解していた: 反省芸術・糸崎公朗blog3 http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/212835/204678/14773379…わかりやすかったのだが、そもそもこの解釈が合ってるのか僕には判定できないので…

エックハルトとヤージュナヴァルキア

昨日で終了の『切断芸術運動展』隣で開催されてた『エピクロスの空き地』展のチラシにどこかで読んだ言葉が引用されてると思ったらエックハルト『神の慰めの書』で、私はヴァンだ一成さんに借りて読み「離脱」の言葉に感銘を受けた筈が忘れていて、これを思…

国立西洋美術館でフォトモワークショップ

【告知】上野の国立西洋美術館にてワークショップを開催します。 C創作・体験プログラム①「フォトモで楽しむ本館」参加者が撮影した本館の写真を、講師の制作技法にならって立体に作り上げます。*観覧券が必要です。日時:7月22日(土)10:00~17:00講師:…

芸術とデザイン

芸術とデザインの違い、というものが自分にはよくわかっていなかったのだが、芸術とデザインでは「善」のあり方が異なっている。デザイン的な善とは「隣人愛」であり、その場合の隣人とは「目の前に存在する具体的隣人」を指すのであり、普遍的な意味での隣…

『芸術への道』抜き書き3

●芸術家には「材料への感覚」が要求されるわけで、この感覚の鈍い芸術家は、選択した材料を的確に使用することは出来ないし、それを作品の全体性に有効に活かすことはとうてい出来ない。#芸術への道 ●芸術はいつもその意味内容のためにこそ成り立って来たの…

『芸術への道』抜き書き2

●芸術は、自然と対置されても確固たる存在を主張するものでなければならないが、それは自然に対して固有な何かを意味してはじめて可能になるのだ。#芸術への道 ●自己の作品を前にして動揺する画家の姿は洋の東西を問わず真に芸術家のものだ。だから彼らは二…

ハインリヒ・リュッツェラー『芸術への道』抜き書き

芸術に関係するのは造形の質であって、美の質ではない。芸術は、その本質からしてあいまいさや隠蔽に敵対しており、またそれは決然たるものであって、自ら提示するものをそれ自体として純粋に現出させようとする。だからこそ芸術は、あやふやで支離滅裂な日…

『切断芸術運動というシミュレーションアート展』

告知が遅れて申し訳ありませんが、展覧会をやっておりますので、どうぞよろしくお願い致します。私も作品『反−反写真(切断芸術』と『フォトモ(切断芸術)』を出品しております。また、6月30日(金)の2時からは、彦坂尚嘉×糸崎公朗のトークショーも開催しま…

物質と精神

物質主義は盲目をもたらすと、宗教家の手島郁郎先生は述べているが、芸術は物質であって物質でないという二つの側面を持つ。それは人が肉体という物質的側面と、非物質的な精神的側面の、二つを持つことと対応している。 肉体という物質があって、精神という…

人間と信用

お金の起源について知りたくなったのですが、これはなかなか良い記事ではないかと思います。https://hikakujoho.com/manekai/entry/20160809 hikakujoho.com お金の起源は「信用」にある。お金に対する信用とは、即ち人間に対する信用である。だから「人間は…

超人と芸術

近代とはイギリスの産業革命に端を発した科学の力によって、人間が人間を超える力を身につけ、人間が人間を越えようとする営みであり、それは芸術についても同じなのである。 産業革命はイギリスで起きたが、その後世界各地に波及し、写真の発明競争はフラン…

神と自明

神は存在しない。のであれば何が存在するか?と言えばあらゆるものが自明的に存在するのである。 「無宗教」を自称する多くの日本人は、神の存在を自明的に信じることが宗教だと思いなしているが、そのような人こそ自分を含むあらゆる事物の存在を自明的に捉…

他力と自明

他力は多力であり、自明とは反義語の関係にある。 全ての人工物は他力によってできている。しかし素朴な感覚において、あらゆるものは自明に存在する。多くの人は全てを自明とはみなさないまでも、世界のかなりの部分を自明的に捉えている。 この自明性を徹…

能力差の有りと無し

仏教の世界観は、人には絶対的な能力差があることを認め、それを輪廻の回数によって説明している。 人には絶対的な能力差が「ない」という側面と、人には絶対的な能力差が「ある」という側面の二面性がある。 ブッダの悩みは、人は修行をすれば誰もが悟りを…

朋と遠方

師曰く、学びて時に之を習ならう。またよろこばしからずや。朋あり、遠方より来きたる。また楽しからずや。人知しらずしていきどおらず、また君子ならずや。#論語 『論語』の冒頭「朋あり、遠方より来る」について、孔子は人里離れた僻地に住んでいて、たま…

他力と非人称芸術

そもそも私の「非人称芸術」のコンセプトは、自分自身のアーティストとしての「才能の無さ」という絶望から出てきたのである。私は自分の芸術作品を生み出す上で、「才能=自力」は全く頼りにならないことを悟り、それを「他力」によって実現しようとしたので…

自力と他力

全ての芸術は「非人称芸術」である。と言うのは私にとって大きな発見である。いや正確にはそうではなくて、一人称という言葉の定義が問題になる。「私とは何か?」とは哲学的な問題であり、素朴な認識による「自明な私」により「非人称芸術」の概念を構築し…

マキャヴェッリ 君主論 抜き書き2

●敵から身を守ること、味方をつかむこと、力またははかりごとで勝利をおさめること、民衆から愛されるとともに恐れられること、兵士には命令を守らせるとともに尊敬されること、君主に向かって危害を加えらる、あるいは加えそうな連中を抹殺すること、厳格で…

私と存在

自分は存在しない。いや少なくとも「自分が存在する」と素朴に認識するようには自分は存在しない。実際に、目に見えるあらゆるものは、他人が作ったものであり、自分が作ったものは何一つ存在しない。自分で自分の顔が直接見ることができないのと同様、自分…

現実と物語

物語と現実の何が違うかといえば、何も違うところはなく、物語を生きる人と、物語を生きない人とがいる。物語とは筋であり、筋を生きる人と、筋を生きない人とがいる。「世界」は混沌としているからこそ筋が必要になるのだし、筋がなければ混沌に流される。 …

物質と痛み

生活と学問における自然的態度の思考、すなわち認識の可能性のいろいろな難問題には無頓着な思考と認識の可能性の諸問題に対する立場によって規定される哲学的思考。#フッサール 現象学の理念 実在について論じたように、物体というも我々の意識現象を離れて…

描く力と考える力

美術批評家・キュレーターの黒瀬陽平さんのインタビュー記事に、 「なぜ描かないんだ?」って、ときどき聞かれますが、それは僕に才能がないからですよ(苦笑)。実際に絵を描く力と、理論を考える力とは全く違います。その両方が備わっている人は凄くラッキ…

考えた途中で途切れる

「考える」とは「常識を疑う」事に他ならない。いくら考えても「常識の内側」で考えることは同義反復に過ぎず、本当の意味で考えるとは言えない。 常識とは何か?動物の場合イヌにはイヌの常識があり、ネコにはネコの常識があり、カエルにはカエルの常識があ…

宗教とモラル

マキャヴェッリによると、国民にモラルがあるのはその国に宗教があるおかげである。そう考えると現代の日本人には押し並べて、文明人のしての一定のモラルを備えているが、これも宗教のお陰だと言うことができる。 日本人は口では「無宗教」を言いながら、そ…

マキャヴェッリ『政略論』抜き書き2

●われわれがなんとしても深く考えておかなければならない点は、どうすればより実害が少なくてすむかということである。そしてこれを金科玉条と心得てことにあたるべきなのだ。というのは、完全無欠でなにひとつ不安がないというようなものは、この世の中には…

時間と偽装

サブカルチャーとは何か?と思ったら、本来の仏教に対する大乗仏教がサブ仏教だった。本来の文化に対する民衆のための文化がサブカルチャーであるなら、本来の仏教に対する民衆のための大乗仏教はサブ仏教なのである。 カルチャーとサブカルチャーの違いは何…

マキャヴェッリ『政略論』抜き書き

●全ての人間は邪なものであり、自由勝手に振舞う事のできる条件が整うと、すぐさま本来の邪悪な性格を存分に発揮してやろうと隙を伺うようになる。 ●彼らの邪悪さがしばらくの間影を潜めているとすれば、それは何かまだわかっていない理由によるのであって、…

戦争と思考

マキャヴェッリは、君主たる者は平和な時であっても常に戦争について考えねばならない、と説いているが、民主主義社会においては庶民がすなわち君主でもあるので、我々も平和な時代にあって戦争について常に考えねばならないのだが、実際にはそうなっていな…

感情と思考

マキャヴェッリの『君主論』を君主でもない一般人がなぜ読まなければならないのか?と言えば、現代日本は民主主義社会であり、文字通りに言えば人は誰でも庶民であると同時に君主なのであり、だから『君主論』や古代中国の帝王学である諸子百家などを読む必…

原理創出と宗教禁忌

交渉というものは、一つには相手の願望をよく理解し、それを実現させてやるように、ことを運ばなくてはならない。例えば、相手が仕事の達成よりも、自分のプライドの維持を優先しているのであれば、それをまず満たしてやることが重要となる。 つまり、仕事の…

マキャヴェッリ 君主論 抜き書き3

●大衆はつねに、外見いかんによって、また出来事の結果だけで評価してしまうものである。しかもこの世の中には大衆しかいないのであり、この大多数の者が腰を落ちつけている場所に、少数の者が割りこむ余地はないのである。 ●人は、必要に迫られて善人となっ…

マキャベッリ『君主論』抜き書き1

これにつけても、覚えておきたいのは、民衆というものは、頭を撫でるか、消してしまうか、そのどちらかにしなければならないことである。というのは、人はささいな侮辱に対しては復讐しようとするが、大きな侮辱に対しては復讐しえないからである。したがっ…

量と時間

マキャベリの「君主論」読んでるが、ここで言われる「力量」と「運」について、力量とは一つには翻訳の文字通り「量」であり、それは時間の量である。個人の知力は無限に増大させることは不可能で、それは「寿命」により制限されている。つまり知力の増大に…

ポスト科学と総合性

英語のscience(科学)の語源はラテン語のscientia(知識)であり、scientia(スキエンティア)はscio(スキオー=知る)の派生語である 。と言うことだが、scienceを科学と訳したのはそれがあらゆる事物を「科」に分けて捉える学問であるからで、名訳である…

共同体と裏切り

○嫉妬や羨望の感情はなぜ生じるのか?聖徳太子の十七条憲法に「人皆党有り、また達れる者は少なし」とあるが、人は皆グループを作りたがるが、その中で特に優れた者はいないのである。人が作るグループとは何か?と言えば、人間は多細胞動物であると同時に、…

セミと常識

キルケゴールの「絶望は死に至る病である」という言い方は、常識的に考えるとおかしい。ここに常識と言うものの性質が現れている。常識人の死とは他人の死であり、自分は観客席からそれを眺めている。人が劇場の観客席に座っている限り、絶望して死に至るこ…

城壁と自由

芸術に自由はない。 一般の人びとがあこがれを以て「芸術に自由がある」といった場合の「自由」とは、荒野に城壁で囲った文明の外部へと脱出するような自由なのである。しかしそもそも、人間は荒野から脱出するために、荒野の一部を城壁で囲ったのである。そ…

他者と強要

自己は自分によって措定されるか、他者に措定されているかの何れかだとキルケゴールは述べているが、例えば自分が自分の名前を名乗ったとしても、その名前は他人に付けられた名前なのである。 例えそれが自分で付けたペンネームであっても、その人は常にあら…

自己と絶望

キルケゴール『死に至る病』再読してるが、絶望して自己自身であろうと欲しない場合、ではなく、絶望して自己自身であろうと欲する場合、とはどう言うことか?そもそも人は「自己」がどう言うものかをろくに知らず、そこで冒頭で自己とはいかに複雑で理解し…