芸術と呪術

「言葉」は誰にとっても自分が産まれる以前からすでに存在している。例えば「芸術」という言葉もそうである。だから本来的に「芸術」という言葉が具体的にどんな意味内容を指すかは誰も知らないのであり、だからこそそれを調べて探求する必要がある。 ところ…

欲と芸術

『老子』第1章「常に無欲を以て其の妙を観、常に有欲を以て其の徼を観る」とあるが、実に「非人称芸術」とは「欲」の問題であった。つまり、このコンセプトの根底にあるのは「芸術だと思えばなんでも芸術に見える」と言う原理であり、それは「欲」の問題なの…

言葉と定義

言葉には定義がない。つまり言葉とは、西田幾多郎先生が述べた如く直接知覚である。 例えば「人間」という言葉の定義を考えても、その内容は非常に曖昧なものを含み、一義的に定義できない。生物学的に考えても、それを進化論的に見れば、ホモ・サピエンスの…

シニフィアンと人工物

私は「私の中のサヨク」を除去するというより転化しなければならない。除去よりも転化の方が資源の無駄にならないからである。何をどう転化するのか? サヨク思想は「自然」を偏重して賛美し、私もそれに絡め取られたのだったが、これを「無意識」へと転化す…

「もの」と無意識

マルクスの唯物論も、唯物論が根拠とした近代的科学思考も、フッサールが「科学者の素朴さ」を批判した時点で本質的には終わっている。 20世紀はじめにフロイトが無意識の存在を発見し、ソシュールが言語の構造を明らかにしたことと、20世紀半ばにワトソンと…

動物と想像界

この鳥(駒鳥)が赤い胸羽を示すことは縄張りの主張であり、この赤い胸羽を見せるだけで、相手に或る行動を引き起こすことが観察されています。赤という色は、この場合、想像的機能をもっているわけです。 この想像的機能が、了解関連という次元へと翻訳され…

構築と消費

私は「私の中のサヨク」と戦わなくてはならない。私の中のサヨクとは、戦後から現在に至るまで日本中を覆っているサヨクと同じなのであり、そうしたものを私は敵性認識して戦わなくてはならない。 引き続いて中島義道先生についてですが、私はかつてこの方の…

哲学と左翼

今なら分かりますが、中島義道先生のこれは自分のことを言っておられますね…私も中島義道先生の本は一時期片っ端から読んでましたが、ちゃんとした哲学書を読むようになって「卒業」したのでした。 売れる本を書ける人はごまかしのうまい人が多く、内容の貧…

充溢と空虚

自分と他人とは何が違うのか?と言えば、人は皆等しく空虚なのである。だから違いと言えば、自分が空虚であることを自覚する人と、自分は充溢していると思いなしている人の二種類とがある。 自分が充溢していると思いなしている人も、そのように全く思ってい…

恣意性と無意識

改めて気づいたのだが、自分は恣意性とか偶然性が何なのかがよく分かっていなかった。それは端的に言えば、現代的にはフロイト的な無意識によって解釈すべきである。だが以前の私は、フロイトの無意識をきちんと理解していなかったために誤解があった。 以前…

イメージと結果

目に見えるあらゆる事物は「結果」でしかない。素朴な感覚の人間の目には「結果」だけが見えている。実に多くの人々は「結果」だけを見てあらゆる判断をしているのである。 目に映るあらゆるイメージは「結果」でしかない。 結果だけを見る人は可能性を見な…

原因と結果

フロイトやラカンを読んでいると、人はしばしば結果と原因とを取り違えている、と言うことがよく分かる。と言うよりも、人間は最も根源的なところで結果と原因とを取り違えいる。なぜなら全ての人間にとって、結果だけが無前提に与えられているからである。 …

無意識の主体

posted at 03:38:52 彦坂尚嘉先生からラカンの『エクリ』を借りて冒頭だけ読んだら、ちんぷんかんぷんで取りつく島もない…と言うほど分からなくもない!もちろん「分かる」とは言い切れないですが。 ラカンは『エクリ』冒頭で、「シニフィアン連鎖の自己主張…

非人称と無意識

今頃になってはたと気づいたのだが、私が主張していた「非人称芸術」はフロイトの無意識をきちんと知らないまま、そのように主張していたのだが、そうすると実は私はずいぶん遠回りしながら結局は無意識の問題を追っていたのである。 フロイトの著者に『機智…

他人と肉親

イエス・キリストの凄いところの一つは、母親との直接的な血縁関係よりも、「人類皆兄弟」という広範な視点による血縁関係を優先したことにある。イエス・キリストにとって母マリアは、大勢いる自分の兄妹たちの一人に過ぎない。 他人が「自分ではない他の人…

動物と想像界

この鳥(駒鳥)が赤い胸羽を示すことは縄張りの主張であり、この赤い胸羽を見せるだけで、相手に或る行動を引き起こすことが観察されています。赤という色は、この場合、想像的機能をもっているわけです。 この想像的機能が、了解関連という次元へと翻訳され…

エックハルト抜き書き

真実にして完全なる神への従順こそ、すべての徳にまさる徳であって、如何なる大事もこの徳なくしては有り得ず、また為され得ないのである。 真の従順においては、「私はかくかく欲する」または「これこれを欲する」ということがあってはならない。ただ「自分…

入門書と魔法使い

板垣恵介イラストが表紙の『史上最強の哲学入門』、読んだこと無いですがちょっと気になって作者の「飲茶」さんのサイトを見てみたのですが、これは哲学者ではなく「魔法使い」で、私も哲学の入門著は昔は何冊も読みましたが、こういうのはどれも魔法を使っ…

絵画と情報

絵画における黄金比とは何か?それは光配列であり情報なのである。絵画の画面構成に黄金比による画面分割を加えると、それ自体が光配列となり、作品により豊かな情報が含まれる事となる。 絵画とは『通常の環境の包囲光配列に見出されるのと同種の情報を含ん…

絵画と光配列

現象学的には「実在」と思える全ては「現象」に過ぎないが、アフォーダンス理論によって詳細に言えば、全ての視覚現象は「光配列」に還元できる。人間は網膜像を見ているのではなく、網膜像を利用して光配列を見ている。 光配列は人間のみならず、視覚機能を…

人格と光配列

私が認識間違いをしていたのは、人間は動物に備わっているべき本能のほとんど失っていて、その本能に取って代わる行動プログラムを言語によって構築するのだと思っていたのだが、それは反面は妥当性があるものの、実際の人間には本能的な「動物言語」の多く…

鬱の克服

思い出したのだが、これはだいぶ以前にTwitterに書いたことだが、私は極度の鬱病を患っている。いや一般常識で言えば私は鬱病ではなく、医者もそのように診断しないだろうと思われる。鬱病と言うのはもっと酷い症状を指しているのだと言う意見も最もである。…

イヌと言語

発売中の『子供の科学』2018年1月号は「イヌ特集」だが、その中に「イヌはオオカミのネオテニーである」と言う説が紹介されていて衝撃を受けたのだが、言われてみれば確かにその通りだと思える。 同じく『子供の科学』のイヌ特集だが、温血動物で目に「白目…

寛容と現代アート

現代アートを理解するには寛容さが必要であり、何故なら現代アートは基本的にどのような対象をどのような方法に表現するのも許されるからである。 現代アートが一般に分かりにくいとされるのは、理解に寛容さを必要とするから。多くの人は自らの常識に閉じこ…

寛容と判断力

これまでの私は「寛容」の心が足りていなかったのかも知れない。物事の「優劣」を判断する上でも、寛容の心は必要である。なぜなら不寛容である場合、物事を本質的な優劣で判断する以前に、自分の乏しい経験からくる「好き・嫌い」「分かる・分からない」で…

持つ者と持たざる者

慢心はなぜ生じるのか?それは一つには「自分の持ち物」を「自分」と混同することによって生じる。人は「持ち物」において平等ではなく「持つ者」と「持たざる者」に分かれており、「持つ者」である自分が「持たざる者」である他者と比較することによって、…

専門性と総合性

カルチャーはサブカルチャーを取り込むことで発展し、サブカルチャーはカルチャーを取り込んで消費する。 カルチャーは代を重ねるごとに芯から腐ってサブカルチャー化する。 サブカルチャーはそれぞれが非本質に向かって多様化する。 カルチャーとは総合性で…

トマソンとサブカルチャー

赤瀬川原平『超芸術トマソン』は、柳宗悦の「民芸運動」との共通点があるように思えるが、赤瀬川さん自身はそれについて書いていないし、民芸運動について知らないのではないか? また赤瀬川さんは自身の超芸術トマソンについて、デュシャンのレディ・メイド…

民芸運動とサブカルチャー

「民芸」という言葉は手垢がつきすぎてよくわからなくなっているが、柳宗悦による「民芸運動」というものがあったのである。民芸というのはカルチャーに対するサブカルチャーであり、サブカルチャーをカルチャーと認めさせる運動だったと言えるかもしれない…

原始時代のエリート集団

優劣の問題は素直に、そして真剣に考えなければならない。にも関わらず、近代においては価値の逆転、優劣の逆転の思想が根底にある。これに無自覚に引っ張られると、優劣の判断が正常にできなくなる。 「優劣」とはなにか?を改めて考えなければならない。最…