アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2016-01-01から1年間の記事一覧

意志と直観

経験の蓄積とは何か?純粋経験の立場から、または現象学的立場から、過去の実在は証明することができず、従って本当に自分があることを繰り返し経験した事実は証明できないのですが、現在意識としての「経験の蓄積」は現象として疑いもなく存在するのです。 …

経験と反復

経験は何度も同じ経験を繰り返さないと、経験することができません。例えば「おいしい白飯の味」というのも、白飯を繰り返し食べる経験を経なければ「おいしい白飯」と「おいしく無い白飯」の区別が付かず、従って白飯を一回食べただけで「おいしい白飯の味…

愛と知

西田幾多郎によると、愛することは知ることです。一般に愛というのは感情で、何かを調べて知識を蓄えることは理性だとされていますが、これらは本来的に合一であるのです。 例えばアニメオタクはアニメを愛するが故にアニメをよく知り、カメラオタクはカメラ…

空間と時間

西田幾多郎によると、そしてフッサールによると、認識の「外部世界」を措定すること自体が間違いなのです。私は目で外部世界を見て認識し、その私は外部世界の中に存在する、という認識自体が自然で素朴な錯誤に過ぎないのです。 「空間」も「時間」もその存…

環境と自分

自分は何をしなければならないのでしょうか?一つは自分を変化させ続けることです。動物における変化とは環境変化であり、その意味で環境が変化しない限り、人間は自分を変える必要はないのです。ところが人間にとって環境は認識であり、認識が変われば環境…

言葉と切断

言葉には切断の機能があります。本来は連続しているもの、一体であるものを、切断する機能を言葉は持っています。例えば「手」と言うのも人体のどこまでが手で、どこからが腕なのかが曖昧にもかかわらず、「手」という言葉によって概念的に切断されるのです…

入門と出家

西田幾多郎『善の研究』読み終えましたが、哲学入門書として最適の一冊でした。現代の多くの「入門書」とは異なり、「門の中」にきちんと入れてくれます。 『善の研究』は日本人による日本人のための最適な哲学の入門書で、これが難しいと言われるのはそもそ…

第171回芸術分析塾ラカン 6月09日(木)のお知らせ

*彦坂尚嘉先生が主催する「芸術分析塾ラカン」のお知らせです。私も授業をします。第171回芸術分析塾ラカン 6月09日(木)..................................10:00〜12:00 秘密講義と演習:【生命力0】の芸術午前中は、彦坂尚嘉先生の特…

『逆三角関係展Vol.19』6月2日(木)開催のお知らせ

隔週の木曜日に開催しております一日展のシリーズ『逆三角関係展』ですが、今週の6月2日(木)は、生須芳英・中田文。ヴァンだ一成 の3名による展示です。 時間は13:00〜21:00場所は新宿の「竹林閣」です。http://chikurinkaku.jimdo.com/%E7%AB%B9%E6%9E%97%E…

第170回芸術分析塾ラカン 5月26日(木)

第170回芸術分析塾ラカン 5月26日(木)...................................10:00〜12:00 秘密講義と演習:【生命力0】の芸術午前中は、彦坂尚嘉の特訓授業です。【生命力0】ではないアーティストが、戦術的に【生命力0】に下降して作品…

子供と大人

一般に子供は環境の変化に柔軟に対応し、大人はそれが苦手だとされています。子供の欠点は、子供にとってはどんな環境も新しく、その都度学習し適応しなければならず、それだけコストがかかり効率も落ちます。対して大人は、既知の環境であれば学習の必要も…

食べ物エッセイ2 現代に増殖するオオサキという動物

美味しい食べ物と、不味い食べ物は、何が違うのでしょうか?興味深い説があります。みなさんはオオサキという動物をご存じでしょうか?私は内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社現代新書)でその名前を初めて知りました。オオサキと…

法然とコンセプト

自分が提唱していた「非人称芸術」についてまた一つ分かったのですが、これは一つには法然の系譜なのでした。つまり「南無阿弥陀仏」と唱えることと、私のいう「非人称芸術」とは、ある意味では同一であったのです。 法然はただ「南無阿弥陀仏」と唱えること…

逆三角関係展Vol.18 5月19日(木)のお知らせ

隔週の木曜日に開催しております一日展のシリーズ『逆三角関係展』ですが、今週の5月18日(水)は、糸崎公朗・颯田浩重・彦坂尚嘉 の3名による展示です。 時間は13:00〜21:00場所は新宿の「竹林閣」です。http://chikurinkaku.jimdo.com/%E7%AB%B9%E6%9E%97%E9…

物質と言語

「分かる」と「分かったつもり」の違いはなんでしょう? 人は「鮮明な今」と「曖昧な記憶」の中を生きています。すなわち「鮮明な今」の鮮明さは「曖昧な記憶」によって裏付けられているのです。いやもしかして、鮮明なのは「言語」だけなのではないでしょう…

第169回芸術分析塾ラカン 5月12日(木)

新宿の「竹林閣」にて毎週土曜に開催していた塾を、隔週の木曜に移行して再スタート致します。 塾の題名も『芸術分析塾ラカン』に戻します。 そして今回から、私の授業「写真史の探究」が始まります。 実は私の「フォトモ」も、写真が発明された19世紀の時代…

アマチュアとプロフェッショナル

時間的前後にも縛られず、あらゆるわざ及び彼の意識によって作られたあらゆる像とによって妨げられることなく、囚われなく自由に、神の賜物をこの今において新たに受け入れ、しかもそれをこの同じ光の内で、感謝に満ちた賛美を持って主イエス・キリストにお…

非人称と反転

私が「私でないもの」を拝して仕えることは、岡本太郎が言うように前時代的で封建的で屈辱的でしかないのでしょうか?もし子供が「私」だけを信じ「私でないもの=親」仕えなければ、子供はどうして大人になれるでしょうか? もしこの神殿が全ての障碍から、…

《現実界》と《象徴界》

現代人は物事を《現実界》に偏って捉えています。《現実界》は確かに偉大な力ではありますが万能ではなく物事の一側面でしかないのです。近代になり忘れられ軽んじられているのは《象徴界》です。近代になり《現実界》が出現する以前の《象徴界》には絶大な…

岡本太郎と才能論

これは、なんといっても一般に、「絵とはこういうものだ」という固定観念がしぶとく食い入って、純粋、素直な鑑賞をじゃましているからにちがいありません。#岡本太郎 今日の芸術 p22 近所付き合いや処世術などと違って、純粋に直感しなければならない芸術鑑…

子供と学び

「子供の感覚を大切に」よく言われる意味での「子供の感覚」とは何でしょう?私の個人的経験で言えば、私の味覚が母親によって教育されていた事の意味が、最近になりあらためてわかってきたのです。私の母親はまずい料理に対し文句を言う人でしたが、子供の…

俗物と哲学

中島義道『哲学の教科書』、今は講談社学術文庫ですが、最初の単行本が1995年刊行で、哲学に興味を持ち始めたその頃に私も読んだはずです。これをあらためて再読してみました。 Amazon.co.jp: 哲学の教科書 (講談社学術文庫) 電子書籍: 中島義道: 本 物事の…

崇高と現実界

中島義道先生の本も『生きにくい…私は哲学病』が本棚に残っていてその冒頭だけ読み返してみたのですが、改めて気付いたのは中島義道先生は哲学を《現実界》に還元しているという事です。《現実界》とは科学の領域でもあり、そして中島先生は哲学を他の「科」…

自明とブリコラージュ

近代になると、人が住む環境が猛烈な勢いでかつてなかった規模の「人工物」で埋め尽くされるようになり「芸術」が相対化されます。また工業技術の発達に伴い「つくること」の最高峰であった芸術の価値も相対化され、これによって様々な錯誤が新たに生じるの…

前衛と野蛮

改めて納得したのですが戦後日本の「前衛芸術」は「前衛」の名の下に原始に回帰していて、「前衛」と「原始」が取り違えられているのです。この問題は私も無関係ではありません。 例えば、1960年代から1970年代初頭にかけて活動していた前衛パフォーマンスア…

精神と料理

私は写真家であり美術家ではあるのですが、どういうわけか美術作品の良し悪しの判別よりも、食べ物の美味い不味いを判別する方が自信があるのです。いや以前は自分の「審美眼」にもある程度の自信はあったのですが、改めて美術の勉強をする毎にその自信は失…

死者と意識

自分の目に映るものが何であるか?は解釈の問題であり意識の問題だと言えます。自分の目に見えるものが何であるか?は自分の意識が決定し、意識の作用によって目に見える世界に「そのもの」が創造されるのです。自分の目に見える世界の秩序は、外光の反射と…

現代思想と評論家

高田明典さんの本は昔はよく読んだのですが、改めて検索すると下記のインタビュー記事があり、そこでの肩書きが「現代思想評論家」とありちょっと驚きました。 http://www.47news.jp/hondana/seijirekkako/article/19.html 「現代思想評論家」とは何でしょう…

芸術と信仰

「鰯の頭も信心から」とは、つまりは「芸術でないもの」が、信心によって「芸術」になり得るのか?という問題でもあるのです。 芸術とは何か?ひとつには「自分が芸術だと思ったものが芸術だ」ということなのであれば「芸術でないもの」に対し、自分が「これ…

信仰とイデオロギー

観念の体系であるイデオロギーには、特有の創造力が備わっています。イデオロギーに備わる創造力は特有のもので、その意味での限界があります。 「鰯の頭も信心から」がイデオロギーに特有の創造力です。イデオロギーの力によって「鰯の頭」が「神」に変わる…