アート哲学・糸崎公朗blog3.2

写真家・美術家の糸崎公朗がアートと哲学について語ります

2016-01-01から1年間の記事一覧

4月2日『第160回新宿・彦坂ITOSAKI塾』のお知らせ

他の仕事に追われていて、私からの告知が直前になってしまい申し訳ありません。 明日4月2日開催の『第160回新宿・彦坂ITOSAKI塾』のお知らせです。 詳しくは彦坂尚嘉塾長のブログ記事をご覧下さい。 41jigen.blog12.fc2.com 4時限の18:00~19:30は、彦坂尚…

情報と退行

近代の終わり。それが何なのか知らなくとも、我々は近代の終わりを生きているのであり、自分の意思とは関係なく、近代の終わりとして感じ、考え、そして意思するのです。 原始的なもの、反文化的なものに惹かれるのは、自分に固有の感覚ではなく「近代の終わ…

生活世界と環世界

多くの人が「芸術とはこういうもの」と確信を持って理解しているのはフッサールの言う「生活世界」においてであり、一方で改めて問われて「芸術がわからない」と答えるのは、生活世界の外部についてわからない、という事を示しています。 ソクラテスの「無知…

心と芸術

芸術とは何かがわからなくなってしまうのは、芸術とはこういうもの、という具合に自分なりの答えを出してしまっているからです。 「芸術がわからない」という人に限って、「芸術とはこういうもの」という自分なりのしっかりした答えを持っているのです。 「…

情報と技術

「情報化時代」と言えばインターネットが普及して以後を指すイメージですが、私が生まれた1965年からすでに情報化時代だったのでした。私が誕生しこれまで生きてきたのが情報化時代で、それだけに「情報化」と言うことが自明化し、対象化できないでいたので…

情報と非当事者

「情報化時代」と言った時に、情報化時代に生きる我々にとって「情報化時代」そのものが自明化して、それが何であるかを対象化できなくなっています。 情報化時代とは「素人の時代」でもあります。専門家が持つ専門知識を「情報化」する事で、素人がそれを持…

学びと盗み

人は「自分固有の感性」によって感じ、「自分固有の考え」によって考えているつもりでいて、その実「既成の感じ方」によって感じさせられ、「既成の考え方」によって考えさせられているのです。それは多くの人が店で買った「既製品の服」を身に付けているよ…

性善説と性悪説

【性悪説】人間の本性は悪であり、たゆみない努力・修養によって善の状態に達することができるとする説。荀子が唱えた。【性善説】人間にはもともと善の端緒がそなわっており、それを発展させれば徳性にまで達することができるとする説。孟子が唱えた。辞書…

自尊心と独創性

人は何を目的にして生きるのか?もちろん人それぞれですが、自分を反省的に捕らえて考えてみるならば、一つには、人はプライドを満たして安心を得るために生きています。その欲望は外敵から身を隠して安心するという動物的衝動に根差しています。 多くの人は…

認識と見積もり

世界を認識するとは、自分のレベルの低さを認識することです。なぜなら自然的態度の人は世界を認識することを拒絶し、自分のレベルを高く見積もっているからです。 多くの人は自分が優れている=強いと信じ切って安心しているのであり、過酷な自然の淘汰圧を…

絵画と写真

ネットアートショップ「きたいぶんしギャラリー3000」に私の水彩画作品4を出品しました。下記サイトからご購入になれます。どうぞよろしくお願いします。 kitai3000.theshop.jp 写真家である私がなぜ絵を描くのか?と言えば、もともと私は絵を描くアーティス…

不可能と可能

自分が知っているものは、ことごとく自分が知っていると思い込んでいるものであり、実際それについて自分は何も知ってはいないのです。例えば自分が座っている「椅子」について、私は何も知らないのです。 あらゆる「椅子」は、本来椅子ではないにもかかわら…

認識と外部世界

自分の目にありありと見えているこの世界が「自分のもの」であるような気になってはいないでしょうか?自分の目に見える世界は自分にとって「周知のもの」で埋め尽くされています。もし目に見える世界に「自分の知らないもの」が立ち現れるなら、それはかな…

時間と節約

節約すべきはお金よりも時間です。なぜなら人の寿命は時間が限られており、時間とは即ち人生の残り時間を指すのです。もしお金を節約するのであれば、それは時間を節約するのに役立つのでなければ意味がありません。時間を無駄にしてお金を節約するのは本末…

犬と飼い主

人はいろいろなものに縛られています。つまり人は解放されなければなりません。自分を縛っているのは「自分」です。ですから自分を解放するには「自分」の解体が必要です。「解体が必要」であることは即ち「縛られていること」を意味します。 自分が悪いのは…

競争と必要

人は互いに競う必要のないところで競っています。フッサールが自然的な人間の態度を批判したことを受けて考えるならば、自然的態度の人々は競う必要のないところで競っているのです。もし自分が何か他人と競う感情を持つならば、それは自らの無反省な自然的…

案内板と迷路

情報とは何か?英語で言えばinfomationですが、それはつまり“案内板”なのです。現代は情報化時代と言われますが、それは世界にさまざまな案内板が乱立し、それらが様々な方向を指し示し、各自がどこへ向かってゆけば良いのか?かえって迷ってしまうような状…

無知と貧乏

人が、自分がいかに無知で、いかに無能であるかを「正確」に認識するならば、そこに〈神〉が立ち現れるのではないでしょうか? 人が、自分が無知で無力であることを「個々の具体的な理由の寄せ集め」ではなく、フッサールの言うようにこれを「本質的に直感」…

哲学と宗教

プラトンの著作を読むと、ソクラテスは哲学者であると同時に、敬虔な宗教者であることが分かるのですが、これを以前の私は「古代ギリシアにおいては哲学と宗教が未分化であった」と理解していたのでした。しかし最近あらためて再読して、哲学と宗教は本質的…

第143回 彦坂ITOSAKI塾藤沢2月03日(水)のお知らせ

彦坂尚嘉先生のブログ記事からの転載です。私も参加します。

自尊心と擬態

『ソクラテスの弁明』再読してますが、「無知の知」を徹底して実行するのは思った以上に難しい。「一を聞いて十を知る」のではなく、「一を聞いて十を知らない事を知る」のでなければいけません。 例えば書店に行って自分が読むことの出来る本を一冊買うと同…

群体と超人

「方法」の原点は「統治」にあるのではないでしょうか。自然としての人間の「群れ」を超えた大人数を統治するには、自然としての人間に備わっていない「方法」が必要になるのです。 人間は自然としての「群れ」を超えた大人数に統治された時、自然としての人…

イメージと方法

美大時代の私は「他人のマネをしない」「これまでに無い新しい表現」というのを目指したものの、才能が無くて挫折します。しかし今振り返ると「これまでに無い新しい表現」を私は「イメージ」で思い浮かべようとして断念したのでした。イメージによって新し…

還元主義で帰納法

ウィキペディアでマルクスの項目読みかけてますが、まずはめちゃくちゃエリートなのに驚きます(笑) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9 マルクスの唯物史観も改めて読むと独自の考え…

敗戦とフランス革命

現象学的に考えると「自然現象」と言えるものが確かに現象しているのです。一方で、「自然現象ではない現象」が現象しています。このふたつの区別は実に曖昧なものを含んでいます。 自然現象以外の現象とは、一般に人間の仕業による現象を指します。例えば絵…

認識とくじ引き

●現象学の基本は認識批判ですが、逆を言えば人は自然的態度において自分の認識に対し無批判で絶対の自信を持っているのです。 自分の認識に対し無批判であることは、ずいぶんと荒っぽい、粗野な態度であり、だから自然的態度でもあるのです。それは人間の動…

読書と現象学

マイスター・エックハルト(1260頃〜1237)『神の慰めの書』講談社学術文庫、を読んでますが、当然のことながらこれも現象学的に読まななければ現象学を学ぼうとする意味がありません。 現象学とは還元主義ですから、現象学以外の本を読む時に現象学のことを…

現象と現実感

例えば白土三平『忍者武芸帳』で主人公の重太郎は敵に左腕を切り落とされますが、次に登場した時は片手だけで刀を振るい何事もなかったような強さを発揮していたのでした。 つまり健常者が障害を負うとその事の「現実感」が増大しますが、真の意味での剣の達…

寛容と平和

「世界平和を願う」とは、他人に対して腹を立てないよう、暴力を振るわないようお願いすることですが、そもそも自分自身が日常の些細なことで腹を立て、相手を恨み、暴力を振るわないまでも怒鳴ったりするのです。ですから自分を棚に上げ平和を願ったりせず…

占いと認識

認識とは基本的に「占い」と「的中」です。人は誰もが常に占いを立て、的中させたり、外したりしています。あるいは多くの人が自分の占いに自信を持って当たっていると信じ、その実ことごとく外しています。私の占いも外しまくりです。目の前にあるものの良…